その菌類の魔物は静かに語った。
「なるほど、我がおばけきのこ一族に伝わる"甘い言葉"を聞きにきたのだな」
霧の中、青き木々が鬱蒼と茂るベルヴァインの森。木漏れ日の中に浮き上がるキノコたちの視線が一斉に私に向けられた。
私は頷くとメモを用意する。おばけきのこはコホンと咳払いした。
「ならば教えよう。我らが伝統の甘い言葉。すなわち……」
「さとう」
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* * *
私の名はミラージュ。ヴェリナードの魔法戦士だが、今はわけあってゼクレスの名門、ベラストル家の護衛をやっている。
当主のリンベリィ嬢は先のクイーン選挙の結果が不服だったらしく、屋敷内にはピリピリとした空気が漂っていた。
そんな空気におびえる男が一人。
「ああ……このままでは……」
貴族的な品のある美声。この声を聞くだけで、宮廷の小鳥たちが揃ってよろめくだろう。
そして声の元をたどり、彼の姿を発見し、また別の方向によろめくに違いない。声に似合わぬ短躯。野暮ったい顔つき。ふっくらとした腹。
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彼、ボッガンはかつて魔王アスバルの代役を務めていた男だ。その声はアスバルに瓜二つ。部屋に引きこもり姿さえ隠してしまえば、これほど有能な影武者もいない。
ゼクレス城内には彼のようなアスバル子飼いの部下が何人かいるらしく、先の政変でも彼らの献身がアスバルを助けたとか。
ま、それはさておき……ボッガンは今、その美声を見込まれてベラストル家のリンベリィに個人的に雇われていた。
リンベリィはアスバル王の熱烈なファンである。声だけでも手元に置いておきたい、というわけだ。
だが、声とは言葉を伝えるもの。
幼いころから宮廷に暮らし、社交と文学を友として育ったアスバルと一介の雇われ人では、語彙と教養に天地ほどの差があったのだ。
「甘い言葉の一つも言えないのか、ってまた怒られてさ……このままじゃクビになっちゃいそうだよ」
ボッガンはうなだれる。
そして何を思ったか、おばけきのこ族の噂を持ち出したのだ。
「おばけきのこといえば甘い息だろ? 甘い言葉もお手のものらしいって聞いたぜ」
そういうわけで彼らに教えを乞いたいと、私に依頼してきたのである。
……で、今、その答えを持ち帰ったわけだが……
「そうか! それでよかったのか!」
彼はさっそくリンベリィの元に駆けていった。どういう結果になったのか、皆まで言うまい。
リンベリィの金切り声が屋敷中に響いた、とだけ伝えておこう。
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このあと、彼はまた別の人物に依頼し、さらに空回りを繰り返すのだが、それも省く。
本題はそのあとに届いた手紙である。
魔王アスバルからの手紙だ。
ボッガンは手紙の朗読役として見事な働きを演じ、面目を保つことになる。
そしてゼクレス貴族として雇用者を簡単には見放さないというリンベリィの矜持にも触れることになるのだが……
「すごくいいわ……ここの部分、もう一回読んで!」
「あっはい、では……コホン!」
ボッガン、もといアスバル曰く……
「落ち着いたら君を城に招待させてほしい。そのときは僕の歌を贈らせてもらうよ」
余程うれしかったのだろう。目を瞑ったリンベリィは頬を紅潮させてその声に聞きいるのだった。
この時の私は、その言葉を単に友好の証、という程度にしかとらえていなかったのだが……
「……それって、そういうこと!?」
仕事後にカフェで落ち合った妖精のリルリラが、その話に食いついた。
私は首をかしげたが、彼女は興奮気味にまくしたてる。
どうも、深読みのできる話らしい。