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「……それって、凄い話なんじゃない!?」
「どういうことだ?」
私はサラダをつまむ。リルリラは騒がしく羽をバタつかせた。
ここはゼクレスの大通りにある小洒落たカフェ。上品なムードを妖精がぶちこわす。アスバルの手紙について話した途端にこれだ。彼女は身振り手振りで騒ぎ立てながらまくしたてるのだった。
「ほら、前に聞いたじゃない! 前の王様がお妃さまに贈った歌のこと!」
そういえば聞いたような気がする。ゼクレスの王族は自作の詩を贈ることでプロポーズとするとか……フム!?
「つまり、そういうことか?」
「違うの?」
私と妖精は額とつつき合わせた。わくわくとした笑みがリルリラの口角を吊り上げ始める。
「ね!そうでしょ!」
「どうだろうなあ」
私は首をかしげた。確かにリンベリィは浮かれていたが、あれがプロポーズ予告ならもっと大げさな話になるような気がする。
決めつけない方がよさそうに思うが……。
「そっかー、シリルさん、ああいう感じが好みだったんだー」
一方リルリラはニヤニヤと頬杖を突く。彼女の場合、ことの真偽はどうでもいい。他人の恋愛話が好きなのだ。
果実酒がコクコクと細い喉を潤す。実に旨そうだ。
「しかし、だとしたら父親のイーヴ王とは、随分好みが違うらしいな」
私は窓から見えるエルガドーラ像を眺めながら相槌を打った。ま、気位の高いところは同じだが……。
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物言わぬ魔妃がゼクレスの街を睥睨する。冷たい美貌。
彼女に、歌を贈られて舞い上がってみせるくらいの可愛げがあれば、ゼクレスの空気も違ったかもしれない。
……いや。
私はサラダをつまむ手を止めた。
あったのかもしれない。エルガドーラにも、そんな時代が。
私はイルーシャから聞いた話を思い出した。呪術に囚われ自我を失ったエルガドーラがうわごとの様に繰り返し呟いていたのは、夫から贈られた歌だったとか。
君に捧げしこの心変わらず。
うつろう空、過ぎゆく時、花が枯れ星が消え去ろうとも……
そして時は過ぎ、全ては変わった。貴族制を打破しようとしたイーヴ王はあまりに性急な政策ゆえに失敗し、エルガドーラは王を追放。ゼクレスの実権を手中に収めた。
怜悧、冷酷、冷徹。全ては鉄の女の思惑通りだったのか? それとも愛する夫を自ら追放した時、エルガドーラの中で何かが変わってしまったのだろうか……不可逆的に!
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エルガドーラはイーヴ王を追放した後、彼が二度と戻れぬよう、呪いの結界をゼクレスに張り巡らせた。
それは、政敵と化した王の帰還を阻むための防壁だったのか。
それとも、かつて愛した男に対する怒りと拒絶の壁だったのか。
「炎のように激しく、美しい人だった」
とは、アスバルによるエルガドーラ評である。
エルガドーラ像は何も語らず、ただ美しい光に彩られ、町を見下ろす。
彼女はバルディスタの侵攻からゼクレスを守るために孤軍奮闘し、戦死した英雄ということになっている。その肩書は未来永劫に語られ、歴史となるだろう。
真実は霧の彼方。ベルヴァインの森にこだまする鳥のさえずりと同じように曖昧に薄れ、溶けて消えていくに違いない。
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(この項、了)