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馬車が石畳を駆け、商人が声を張り上げる。お世辞にも上品とは言えない雑然とした小バザーと、素材をそのまま丸焼きにして並べる豪快な立ち食い店。ファラザードとゲルヘナをつなぐ街道沿いにはいくつもの宿場町が栄えている。
日が傾くと、行きかう旅人たちはそこに腰を下ろし、いくらかの金を落とし、翌朝になれば噂話と愚痴とちょっとしたジョークを残して去っていく。そうやって降り積もった情報と金が街道を豊かに彩るのだ。
その日、我々が訪れたのもそんな宿場町の一つ。夕飯を求めて扉をくぐったのは、ちょっと洒落た三日月型の看板を掲げた大衆酒場だった。
「そこの空いてるところに座っとくれ!」
女将が豪快に声を張り上げる。カウンターは常連らしき客で埋まっていた。
私の名はミラージュ。ヴェリナードに仕える魔法戦士である。
だが、今回の話は任務の話でもなければ血沸き肉躍る冒険譚でもない。いうなれば……
つわもの共が夢のあと。あるいは、酔っ払いの与太話。
ただそれだけの、何の意味もないお話である。
* * *
隣のテーブルに皿が届くと、いい匂いが漂ってきた。油が弾ける音が小気味良く響き、食器とフォークが奏でる音がそれに加わる。
「この辺、ちょっと雰囲気変わったかな?」
妖精のリルリラがテーブルに直接座りながら辺りを見渡した。
「そうかもな」
軽く頷く。以前のこの町は、料理の音など聞こえない程の雑音と喧騒に溢れていた。
別に客が減ったわけではない。カウンター席は満員だ。
だが筋骨隆々とした男達の背中はどこか寂しげに丸まっている。アークデーモンは翼を小さく折りたたみ、アームライオンの四本腕は黙々と料理を口に運ぶ。
少し前なら、彼らの口は料理などそっちのけで武勲話に花を咲かせていただろう。
自分は誰それを打ち負かした。これまでに何人殺した。バルディスタの蛮勇、何するものぞ。ゼクレスは腰抜けの集まりだ。成り上がりのファラザードなど話にならん、云々……
胸を張り肩をそびやかせ、大股で席を占有し、一般客は身を小さくして距離を置く。一方、抜け目ない商人とコソ泥たちはそんな彼らにおべっかを使いながら懐のコインに狙いを定める。
ギラついた野心と熱に満ちた、危険な男達が集う場所。そんな光景が魔界中に広がっていたような気がする。
今、彼らは行儀よく席に座り、無言で酒に酔う。隙間風の冷たさを酒の熱が和らげる。陽はとうに落ち、くすんだ色の夜空が窓の外に浮かんでいた。
大魔王の戴冠から月日は流れ、魔界情勢は安定し始めた。世界は変わりつつある。
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「聞いたか?」
と、カウンター席から会話が聞こえてきた。
「殺戮のグレボスも、とうとう店じまいだとさ」
「へっ、情けねえなあ。俺こそ次の大魔王だ、なんて吹いて回ってたクセによ!」
「お前だって言ってたじゃねえか」
「うるせえ! あの時ゃ、そういう気分だったんだよ!」
男はぐびりと酒をあおった。隣に座ったホークマンが肴をつまむ。
「噂じゃ、大魔王様は元々ファラザードのいち兵卒だったって話だろ。俺は傭兵隊長まで務めたことがあるんだぜ。つまり途中までは俺の方が上だったってことじゃねえか」
そうだろ、と同意を求める彼に、周囲は曖昧な笑みを返すのみだった。
「ちょっと風向きが違えばよお、俺にだってチャンスはあったぜ」
「それなら俺だぜ! なんせ俺は元魔王だからな!」
と、今度は大柄な魔族が名乗りを上げた。元魔王。随分と大物がいたものだ。即座に周りが茶化し始める、
「まーたそれかい。10人ばかしの手下つれて小せえアジトに引きこもってただけじゃねえか」
「うるせえ! それでも一国一城の主だぞ!」
男はがなり立てた。実際のところ、群雄ひしめく時代において、元魔王の肩書はさほど珍しいものではない。野望を抱き、一度は功成り名を遂げて。夢破れてまた、ただの人。
「あのヴァレリアとユシュカの戦いの時だってな、俺は虎視眈々とチャンスを狙ってたんだ」
男は語り続けた。三大強国が一堂に会した魔界大戦。彼はバルディア山道のアジトからその様子を伺っていた、らしい。
「アジトに閉じこもって震えてただけだろ!」
「違げーよ! あと少しでも隙を見せたら、俺の毒剣が奴らを平らげて、魔界は俺の物だったんだぜ!」
爆笑が渦巻く。全て笑い話だ。彼はいじましく拳を握り締めた。
「お前ら笑うけどよお……運だよ、運。あそこでゼクレスの魔人さえ乱入してこなけりゃ……」
彼のアジトと大いなる野望は、ゼクレス魔導国の"秘密兵器"に文字通り踏みにじられ、人知れず潰えた。麦酒が喉を流れていく。苦い刺激が染み渡る。
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そんな男を置き去りにして、また別の誰かが語り始めた。