「そういや、貪欲のグリーニって知ってるか?」
ナッツをつまみながら、また別の客が語り始めた。
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「有名なギャンブラーなんだがよ。そいつももう足を洗うってウワサだぜ」
それを聞き、ドワーフに似た小柄な魔族が天を仰ぐ。
「あーやだやだ! みんなお行儀よくなりやがって」
「お前が人のこと言えるかよ。漆黒の匪賊サマが今や道具屋の主人だろ」
「うるせえぞ!」
男達はわき腹をつつきあう。と、アークデーモンがテーブルを叩いた。
「そもそもぉ! 魔界秩序とはぁ!」
ジョッキを宙に突き出し、彼はその場に立ち上がった。
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「独立独歩たるぅ! 個々人の力によって成り立つべきものでありぃ! 統一なる思想そのものにぃ! 根本的欠陥がぁ!」
演説が始まると同時に笑い声が起きた。野次と揶揄が飛び交う。
「お前の演説も随分久しぶりじゃねえか。最近言わねえよなあ」
「言えてたまるかい! シラフでさ!」
アークデーモンはあっさり腰を下ろし、ため息をついた。魔界一の弁論家も形無しだ、と肩をすくめる。
「そういや、大魔王なんて認めないだの言って解放軍とか名乗ってた連中はどうした? ゴッツェだっけ」
「ありゃ、ダメだ。あっさり大魔王様になびいたってさ」
「だと思ったぜ」
酒場中がため息。野望と野心の成れの果て、だ。
「うるさくて済まないねえ」
料理と酒を届けに来た女将が苦笑いを浮かべていた。私は皿を受け取りつつ笑みを返した。
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「元・大魔王候補が多いらしいな」
「ちょっと前まではどいつもこいつも俺こそ王の器だ、俺が真の英雄だ、なんてね……ま、要するにみんなバカってことだけど」
女将はクスっと笑う。
「けどそういうバカどもに、ずいぶんお金を落としてもらったねえ」
懐かしそうな表情を浮かべて彼女は店を見渡した。
「おーい、こっちにも酒だ!」
「元魔王サマがお呼びだぞ!」
「うっさいねえ! 身体は一つしかないんだ。ちょっとぐらい待ちなよ!」
女将は元魔王を一喝した。堂に入ったものだ。リルリラが悪戯っぽく笑った。
「おかみさんも元魔王だったりして」
すると女将は茶目っ気たっぷりのウインクを彼女に返すのだった。
「いいや、元プリンセスさ」
妖精はキョトンとした表情を浮かべた。私も似たようなものだっただろう。女将はまた苦笑して肩をすくめる。
「ちょっとした盗賊団やら傭兵団やらが、猫の額ほどの土地をぶんどってさ。好き勝手に旗を立てるわけだ。頭領に娘がいたら、そりゃあ王女様だろ?」
女将はちょっとしなを作るような仕草をした。どことなく品がある。どこが王女だ、と常連客がヤジを飛ばすのを彼女は一睨みで黙らせた。
「それで、元王女がなんだって酒場を?」
私が話を振ると、おかみはちょっと顔を赤らめて頬に手を添えた。
「駆け落ち、って奴さ。あたしもあの人も、若かったからねえ」
途端にヤジが飛ぶ。
「またその話かよ!」
「おいおい騙されんなよ、おかみのホラ話によ!」
「うるさいねえ! 酒の値段上げるよ!」
元王女は威厳たっぷりに荒くれどもを黙らせた。
「今にして思えば、大した男じゃなかったんだけどね。せいぜい剣の腕が立って、機転もきいて、度胸があって……顔も悪くない、って程度の男」
……どうも、のろけ話を聞かされているようだ。苦笑する私と裏腹に、リルリラは興味をそそられたらしい。
「お姫様と凄腕剣士……王国の騎士様とか?」
「いいや、流れ者の腕自慢でね。あたしとあの人の出会いは、そりゃあドラマチックだったもんさ」
女将は語り始めた。常連客はため息交じりにニヤニヤとした視線を向ける。どうやら同じ話を聞くのが二度目や三度目ではないらしい。