カミハルムイの空は高く遠い。どこまでも透き通った青。視線の先へと吸い込まれていくようなエルトナ晴れだ。
雲の合間を縫って視界を横切るのは薄桃色の花びら。桜吹雪が風に舞い、緑映える木々の間にひときわ目立つ桜の梢が陽光を浴びて白く輝く。
宮中から雅な弦楽の音色が響く。カミハルムイは常春の都。その王城の中庭に、私はいた。
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私の名はミラージュ。ヴェリナードに使える魔法戦士である。
ここしばらく魔界探索の任についていた私だが、今回はアストルティア勤務。
というのも、魔瘴の巫女イルーシャが女神ルティアナの秘跡を求めて五大陸巡礼の旅を始めたからである。
魔界にはびこる魔瘴と、その根源たる邪神に対抗するためとのことだが……詳しい話までは聞けなかった。
我々魔法戦士団も協力を申し出たが、残念ながら巡礼には神に選ばれし者しか同行できないらしく、後方支援に徹するのみであった。
「大丈夫。あなたに習った弓があるもの」
イルーシャは悪戯めいた笑みを浮かべたものだ。私は苦笑いを返すことしかできなかった。確かに私は魔界で彼女を護衛していた時、弓の基礎を教えたが……その時の彼女は弓のイロハを覚えただけの、ただの素人にすぎなかった。
ところが、どこにそんな才能が眠っていたのやら、いくつかの実戦を乗り越えた今の彼女は、射手として相当なレベルに達していた。文字通り神がかった才能、というべきか。
"勇者の盟友"として知られる冒険者の助力もあり、彼女は順調に秘跡廻りをこなしていった。私の指導など、もはや助けにもなるまい。
そのイルーシャは今、カミハルムイ城にそびえる巨木を見上げ、小さな唇を大きく開いていた。
質素だが威厳ある注連縄で飾られたその桜は、大人の男が十人がかりで手をつないでようやく囲めるような大樹である。
遷都以来、あるいはもっと前から、常にこの地を見守ってきた桜は今日も雄々しく咲き誇り、風雅な花びらを風に乗せる。薄桃色のつぶてが頬を横切ると、彼女は舞い散るような笑みを浮かべ、その行く末を追った。
桜を取り囲む池に花びらが舞い落ちて、草船のように浮かぶ。彼女は身をかがめ、その船が揺れるのを見た。
水の中に溶けていくような桜を。
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勇者姫と盟友殿は傍らで静かにそれを見守り、もう一人の同行者は少し距離を置いて腕を組んでいた。
カミハルムイの桜が見たい。彼女がそう言いだしたのは、巡礼の旅を半ば終えた時だった。
巡礼とは直接関係のないことらしい。何を呑気なことを、という者もいるだろう。だが勇者の盟友や彼女を支援する賢者たちは彼女の意向を尊重した。
連絡を受けた私はヴェリナードを通してカミハルムイに働きかけ、入城許可の手続きを担当した。
ニコロイ王はエルフ族の寛大な君主だが、イルーシャや勇者姫はともかく、もう一人の同行者について認可を貰うには少々手間がかかった。まあ、無理もない。最終的には勇者姫が責任を持つということで納得してもらったが、王は気が気でないだろう。
私は彼の方に目を向けた。
無頼そのものの旅装束。強い意志を宿した瞳。燃えるような赤毛。
そしてその赤毛からのぞくのは黒く捻じれた二本角。
「せめて変装とか……帽子をかぶるぐらい、した方がよいのでは?」
「ン? 必要ないだろ。隠すつもりもないしな」
呆れかえる私の問いに、魔王ユシュカは堂々と言ってのけたのであった。