ユシュカは無造作に庭園を見渡した。
彼を彩る肩書は数多い。砂の都ファラザードの王。魔界の三分の一を治める大君主。大魔王の片腕。宝石と人材を操る実業家。そして今は、勇者と巫女の協力者。
イルーシャが巡礼の旅を始めたのとほぼ同じタイミングで、彼もアストルティアを訪れていた。プクランドの秘境、光の里フィネトカにて、勇者姫と共に邪神に対抗する秘儀を学んでいるそうだ。
魔界と人界、その垣根は確実に崩れつつある。
魔界では魔族の商人を自称していた私もまた、彼らに本来の姿と身分を明かした。ユシュカは驚く素振りすら見せなかった。
ただニヤリと笑い、
「よくも騙したな、この悪党め」
と私の胸を小突いただけだった。
「魔王らしからぬお言葉です」
私は笑みと共に礼を返すのだった。
それにしても……。
私はぐるりと中庭を見渡す。勇者姫と盟友。そして魔王。そうそうたる顔ぶれだ。
私は花見の警護役として中庭の入り口を守っている形だが……この面々に襲い掛かろうという命知らずがいたら見てみたい。
「お茶とお菓子をお持ちしましたよ~」
と、城の奥から現れたのはリルリラ。私の相棒だ。
妖精の姿で魔界を旅していた彼女も、今は本来のエルフの姿。正式な花見の場ということで、珍しく僧侶としての正装である。
……カラーリングは少し弄ったようだが。
「ありがとう」
勇者姫と魔瘴の巫女は作法にのっとり慎ましくそれを受け取ると……何故か慣れているはずの勇者姫の方がぎこちなかったが……仲良く茶をすすり、色とりどりの砂糖菓子に舌鼓を打った。
エルトナのワサンボンは高級砂糖としてよく知られている。抑えのきいた上品な甘さが特徴的だ。
「来年のクイーンコンテストの参考にしようかしら……」
勇者姫がつぶやく。ファルパパ神主催のコンテストだ。イルーシャ、アンルシア姫ともに今年は躍進し、来年の優先出場権を得ている。勇者姫がコンテストで作るチョコはオリハルコンのごとき硬さで有名だったが、最近は改善されているとか……
「来年、か……」
イルーシャがまぶしそうに桜を見上げた。勇者姫はハッと何かに気づいたように巫女を振り返り、口元に手を添えた。
巫女は儚げな笑みを浮かべて首を振ると、再びワサンボンを口に運んだ。きめ細やかな甘みがしっとりと広がり、飲み込めば跡を濁さない。
桜が舞う。不動の大樹が少女を見下ろす。空は遠い。
ささやかな宴はなおも続く。と、警護を続ける私の姿に気づいたイルーシャが菓子を片手に近づいてきた。
「あなたもどう?」
巫女が微笑む。私は色とりどりの誘惑に一瞬手を伸ばしかけて固辞した。
「私は護衛役ですから」
「いつもそう言うのね、あなたは」
彼女は菓子の載った器を私に向けてさらに突き出した。ここまで言われて断れば逆に礼を失することになる。そういう機微を彼女は無意識のうちに理解して振舞っているようだった。
私はありがたく菓子を受け取り、口にした。立ち仕事の疲れにジワリと広がる甘味が心地よい。
彼女は橋の手すりに腰かけて私を見上げた。
「魔界を旅したり、みんなを守ったり、お仕事大変ね」
「貴女ほどではありませんよ」
私は首を振った。巫女としての彼女の使命を思えば、私の任務など、しょせん俗世に流す汗、だ。
彼女はしばらく無言で私を見つめ続けた。桜が横切るたび、イルーシャの瞳は巫女としての神秘的な光と少女らしい純粋な輝きを交互に見せる。
「ねえ」
と、私を見上げた彼女の瞳がどちらの色に染まっていたのか、私は判別がつかなかった。
「あなたはどうして頑張れるの?」
「……やりがいのある仕事ですから」
咄嗟にそう答え、少し気取りすぎかと私は苦笑を漏らした。
「と、いうのは建前で、私は旅が好きなのです。魔界やアストルティアの各地に派遣され、新しい景色を見て、様々な人に触れて……任務をこなしながらそれを楽しんでいるだけですよ」
「それで人の役にも立ってるなら、いいお仕事なのね」
「そう思います」
そう、と彼女は桜景色に目を移した。
「そういうお仕事のおかげで、この景色も守られてるのよね……」
花吹雪が彼女の体を包んだ。花びらに手を伸ばした彼女の腕に、茨の腕輪が巻き付いて離れない。
私はどう反応したものかしばし迷った。その答えが出る前に、横合いから盆を差し出す手があった。
リルリラである。