戦いはついに終局を迎えようとしていた。
異界の神は絶えることなく腕を伸ばし続け、そのことごとくを阻まれた。いよいよ飢え、やつれていくその姿はもはや神の名を騙る亡者のようだった。
確かな勝機に、動いたのは勇者姫だった。
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「みんな! あの呪文を!」
彼女は勇ましく号令をかけた。
誰もが頷いた。
私も、おそらくここにいる誰も、その呪文を使ったことがない。
見たことすらない。
だが誰もが知っていた。
幾多の伝説の中で究極とも至高とも謳われたその呪文を、誰もが知っていた。
無数の光が天に手を掲げた。
人間、魔族、魔王に魔物。
私も、リルリラも。ニャルベルトも肉球を空に向けた。
シンイ、エステラ、村人たち……全て同じだ。
その呪文の名は……。
……あえてここに記す必要もないだろう。
ややあって、虚空に雷鳴が轟いた。
それと前後して、私の意識は光の中に溶けていった。
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そして次に目を開いた時……
そこにはエテーネ村の牧歌的な景色だけが映っていた。
日はまだ高い。雲は、少し流れたようだった。
◆ ◆ ◆
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こうして一つの時代は終わりをつげた。
そして人々は次の時代へと思いを馳せ始める。レンドア上空に浮かんだ天空都市。
「ほい、これ」
リルリラが弁当屋から買ったマジカルサンドを頬張りながら私にも一つ薦めてきた。魔法の味が口中に広がる。……が、途端に異物感。魚の太い骨が紛れ込んでいた。調理ミスだ!
文句を言おうと振り返ると、弁当売りの姿はもう人ごみの向こうだった。まったくいい加減な商売を……世界は一つになったんじゃなかったのか?
「まあまあ、星ひとつの安売り品だから仕方ないって」
リルリラはごくりと飲み込んだ。そっちは"当たり"だったらしい。私は骨を取り除いてから釈然としない気持ちごと飲み込んだ。
船乗りたちは積み荷を運び、宿屋は客船から降りた旅人たちに呼び込みをかける。港町のありふれた日常。行き交う人々。
その一部には、人間に変装した魔族も混ざっているかもしれない。
異界滅神の討伐からしばらくの月日が流れ、アストルティアと魔界の関係も一旦は小康状態といったところである。
今のところグランゼドーラは表向き、"勇者による魔界平定"として各国に触れ回っている。
魔界側にとっては不服なことこの上ない話だろうが、マデサゴーラの侵攻も記憶に新しい今、魔界との協調路線を大々的に掲げるには時期尚早との判断だろう。
世界が本当に一つになるにはまだまだ時間がかかるというわけだ。
我がヴェリナードにもそうした形で一連の顛末が伝えられることになったが、裏では魔王アスバルが密書を通じてオーディス王子と交流を行っているらしい。
いずれ王子が王位を継ぐ頃になれば、正式な形での国交も始まるのではないか。
「王子の肩にはまた一つ、大きな責任が降りかかることになるな」
と、ユナティ副団長はため息をついた。
「それにしても、あの家庭教師が魔王だったとは驚きだな」
「……そ、そうですな」
私は冷汗を隠しながら目をそらした。
何を隠そう、アストルティアを訪れた旅人シリルこと魔王アスバルをヴェリナードに案内したのはこの私なのだ。
……私の首を繋げるためにも、オーディス王子には是非、頑張っていただきたいところである。
「あの王子様、ちょっと頼りない感じだけどね」
リルリラがトロピカルジュースを口から離してそう言った。
だが真に時代を作るのは華々しい戦いを演じる英雄豪傑ではなく、地道な関係を積み重ねる人々なのだ。
そういう意味で彼らの関係には注目している。また私はそれを支える立場でもある。王子の臣下として、アスバルの友としてだ。
アスバルの"家出"も、思わぬ成果につながったわけである。