そして今、私は故郷のレーンの村に戻っていた。
一連の事件の中で、ゲーダムは情報収集のために各地の住民に協力を要請していた。レーンの村もその一つだ。
ゲーダムがああいうことになってしまった以上、他の誰かが挨拶に行く必要がある。里帰りついでに、と私が派遣されたわけだ。
本来なら任務にかこつけて懐かしい面々との旧交を温め、息抜きをするところだが…
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私はため息一つを友として、さざ波を眺めていた。
海を見下ろす小高い丘。背後には小さな孤児院がある。私の育った場所だ。
海岸には漁船がいくつか並び、見知った顔が今日の収穫を数えていた。
ルベカ、アーシク、村長、孤児院の仲間達。皆、私にとって家族のようなものだ。
彼らの顔を眺めながら、私はゲーダムのことを思い出していた。
もし流れ弾が着弾した先がこの村だったなら……ルベカやアーシクが死んでいたら。
私は平静を保っていられただろうか。偉そうにゲーダムに対して語ったように、魔法戦士として誇り高く振舞えただろうか。
正論を言うほど簡単なことはない。肉と、臓腑と、神経の灼ける痛みを考えなければ、人はいくらでも正しいセリフを口にできるのだから。
白波。海が遠い。
私こそ、安全な場所から好きなことを言っているだけの卑怯者かもしれないのだ。
怒りのままに彼に叩きつけた拳と言葉は、ただの八つ当たりに過ぎなかったのか…?
そういう煮え切らない思いが腹の奥で渦巻いて、ことあるごとにため息となって口から漏れてくるのである。
「どうしたの」
と、私の隣に立つ影があった。
リルリラだ。
「いや」
私は首を振る。
「私はただ幸運だっただけかもしれんと思ってな」
「今頃気づいたの?」
彼女は腰に手をあて、お気楽そのものという笑顔を浮かべた。
「里帰りにこんな可愛い女の子とあんな可愛い猫ちゃんがついてきてくれるなんて、世界一のラッキーマンでしょ!」
海岸には子供たちの人気者になったニャルベルトの姿。潮風が賑やかな声を運んでくる。思わず口元がほころんだ。
そしてエルフの娘を見上げる。太陽がその隣に重なる。まぶしさに目を閉じると、まぶたの裏にもう一つ、リルリラの顔が浮かんだ。あの時、激昂する私を諫めた時の顔が。
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……私にとっての本当の幸運は、ああいうときに諫めてくれる友がいることかもしれない。
だから少々気恥しいが私は真顔で言わねばならなかった。
「リラ。あの時のことなんだが」
「……ン」
リルリラがアーモンド型の瞳を微かに揺らす。
「……私を止めてくれて、感謝する」
彼女はしばし沈黙し……そしてため息。エルフの小さな掌が、私の頭を軽くはたいた。
「おばか」
「そうらしい」
私は天を仰いだ。冬空。入道雲がにじむ。
「けど同じセリフ、ちょっと前に聞いたな」
うん……? 私は首をかしげた。
「ゲーダムさん」
と、エルフは言った。
「ミラージュに伝えてくれって。自分を止めてくれてありがとう、ってさ」
「お前、ゲーダムに……?」
いつの間に会ってきたのか……聞こうとして私は恥じた。
彼女がわざわざそんなことをする理由は、一つしかないではないか。
私は彼女に感謝しつつ、その伝言をかみしめた。
私が自分で自分を止められなかったように、ゲーダムも止められなかった。止めてくれる者が近くにいなかった。
いや……。首を振る。
同じ魔法戦士同士。関連する任務に就いていて、実際に顔も合わせていた男が一人いる。
私だ。
再びため息。
「もっと早く止められていたらな…」
「神様じゃないんだから、無理でしょ」
リルリラはあっけらかんと言った。殊更に、お気楽に。
「ミラージュは頑張った。それだけです」
リルリラはさっき叩いた私の頭をそっと撫でた。そっと。
彼女は時折、こういうことをする。
それが今は有難かった。
ヴェリナードに戻った私は、そのまま事後処理に当たることになった。
担当任務の割り当てに際して、身内絡みの事情がないかどうか厳しくチェックする制度が立ち上がることになりそうだ。
身内が絡んだ時、冷静な判断ができる者は少ない。それをこなしてこそプロフェッショナル、とは思うが……所詮、人に完璧を求めた時点でシステムとしては破綻しているのだ。
「いろいろと考慮の余地はあるが……今は外からの目も厳しい。それくらいの自戒は必要かもな」
ユナティ副団長が提案書に署名を刻む。
アーベルク団長は不在。団員の不祥事に関して方々に頭を下げる日々だ。サロンの空気は重い。せめて改革に結び付けていくしかないだろう。
こうして、様々な波紋を残し、海神の秘宝事件は幕を下ろした。
冬の太陽は寒空のなかで、それでも光を放っていた。
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(了)