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天星郷は天空に浮かぶ群島とでも呼ぶべき存在で、神都フォーリオンはその中心に位置する最も大きな島に作られた天星郷の首都……というより、唯一の都である。古代神殿を思わせる円柱を多用した建築様式が特徴だ。
街はいくつかの区画に分けて管理されており、下層、中層、上層の三層に分かれた立体的な構造になっている。一見すると段差が多すぎて不便にも危険にも思えるが、それを口にすると軽く笑われた。いざとなれば飛べばいいだけの話ではないか、と。
階段のない二階建ての家屋が立ち並ぶ。ここは天空都市。翼持つ者達の街なのだ。
下層には女神ルティアナをあがめる礼拝堂や天使たちの居住区。珍しい所ではアストルティア資料館なる建物もある。
中層は宿屋協会が運営を任されており、宿屋や酒場、預り所といったいくつもの施設が並ぶ。私が普段寝泊まりしているのもこの区画だ。本来は天使たちの居住区だったらしく、宿屋協会の進出に伴い大掛かりな転居が実行されたそうだ。
よく文句が出なかったものだ。よほど上手く交渉したに違いない。私はロクサーヌの声を思い出し、少し背中に寒いものを感じたが……おかげ様でこの中層の雰囲気は我々の知る街とよく似ていて、親しみやすい。商業臭のする営業スマイル、客寄せの看板、程よい俗っぽさ。
ちなみに神都では基本的に金銭のやり取りを必要としないらしく、宿屋協会が経営する店舗を除けば全ての建物が公共施設である。……お上品すぎていけない。
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上層に近づくにつれて雑然とした雰囲気は消え、天使の都らしい厳かな空気が戻ってくる。
一部の狂いもなく整備された水路が魔法光を反射して輝き、階段は完璧なアーチを描く。浮遊するプランターが色とりどりの花で空を彩る。その配置も完全なる左右対称。
「定規で引いたみたいな街だね」
とは、この街に来たばかりの頃、リルリラが漏らした感想である。
上層の最奥に位置するのが指導者層やエリート天使が所属する聖天区画。いわば役所だ。ここに立ち入ることができるのは天使の中でも一部のエリートのみとされている。
天使長が管理する三つの巨塔がここからでもよく見える。それは地上のいかなる王城とも似ていない。いや。神都の他の建物とすら似ていない。例えるならそびえ立つ巨大なモノリスだ。
神々しさ以上に無機質さを感じるその物体が、天をも見下ろす高みから神都の全てを睥睨する。天の都に風は吹かない。神の使徒は機械のように粛々と日々の天務をこなしていく。
「……って言うほど機能的でもないんですけどね」
と、受取人のコルテージュは肩をすくめた。
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「クリュトス様、試練の一つを任されてから張り切っちゃって……仕事熱心なのはいいんですけど」
ため息一つ。
「入れ込むと周りが見えなくなっちゃうタイプで……。おかげで雑務は全部私に回ってくるんですよ」
「大変ですな……下で支える役というのは、どこの世界でも」
私は相槌を打った。こういう愚痴が意外と有用な情報源となるものだ。
案の定、彼女は堰を切ったように喋りだした。
「そうなんですよ! だいたいクリュトス様は凝りすぎなんですっ!」
こうしてまた一つ、私は情報源を入手した。
英雄達に課せられる試練は四つ。名付けて四天の星巡り。"審判の天使"と呼ばれるエリート天使がこれを管理し、具体的な企画、準備は天務室所属の天使が執り行う。
クリュトスは黄金の試練と呼ばれる試練の担当で、大変に進歩的な考えの持ち主だそうだ。
「英雄に商売をさせて精神を試すなんて、突拍子もないこと言い出すんですよ」
その商品の準備が彼女の担当だ。あのハチマキも、英雄達が誰かに売りつけるのだろうか……
ちなみに商品を購入した人々の感謝の気持ちは、神都を運営する様々な動力に変換される。つまりクリュトス氏の企画は、試練とエネルギー問題解決を両立する一石二鳥の政策というわけだ。
「凄いと思うし、やりがいも感じてますけど……残業が多くて……」
なお天星郷には金銭が存在しないので、残業代も出ない。私は深く同情した。
「あ、ちなみにこれが感謝のエネルギーです」
と、コルテージュは袋に詰まった輝く礫のようなものを見せた。果実のようにも見える。
おとぎ話の守護天使は、人々から感謝の気持ちを集め、どんな願いもかなえる女神の果実を実らせたというが……。
「ついでだから頼まれてくれませんか? このエネルギー、聖天舎のプランテスさんまで届けなきゃいけないんですけど、私、まだ別の残務があって……」
私は勿論、これを引き受けた。人には親切にするものだ。それに聖天舎といえば一部の天使しか立ち入ることのできない特別区画。
感謝のエネルギー袋は、私の感謝の気持ちで少し重くなったかもしれなかった。