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「さすがリルリラちゃん! ミラージュさんもありがとうございますね~」
天使フェディーラは満面の笑みで我々を出迎えた。長くやわらかな金髪が風に揺れる。リルリラが笑顔で手を振り返した。私は一応、かしこまった顔を作っておいた。
彼女は四つの試練の一つを任された、天使の中でも高位の存在である、はずなのだが……。
柔和な笑み、人懐っこい仕草、おおらかな声色。どれをとっても厳格な審判の天使というよりは、近所の優しいお姉さんといった印象だった。おかげでリルリラもよく懐いている。
「う~ん、天上の蜂蜜、採れたては香りが違いますわね~。まさに自然の恵み!」
天使は便の蓋を外し、満足げに頷く。私は……あえて首を傾げて見せた。
「しかしこの密林は、試練のために作られたものなのでしょう?」
肩に舞い降りた木の葉をつまむ。つるりとした手触り。
「人工のフィールドで自然の恵みというのも、奇妙なものですね」
フェディーラは、柔和な笑みを崩さずに森を見上げた。
「私たちは環境を整えただけ。誰かが暮らし始めたフィールドは、もう生きた土地なんですよ」
「アストルティアがそうであるように、ですか?」
たたみかける。それでもフェディーラは表情を崩さなかった。
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「その恵みの豊かさに、私たちもあやかろうというわけです」
彼女は黄金の蜜と、いくつかの果実を愛でるようにかき抱くと調理を開始した。
ほどなくしていい匂いが森の広場に漂い始める。蜂蜜の甘さと、灼けた小麦の香ばしさ。生地に火の通っていく心地よい音に天使の鼻歌が混ざる。周りで試練の補佐をする天使達も、ごくりとつばを飲み込んだ。もちろん私とリルリラもだ。
彼女は天使の中でも人気があると聞くが……なるほど、納得である。
「地上の料理というものはすばらしい発明ですわね」
と、フェディーラは言った。
天使たちは生きるための食事を必要としない。だから長らく、料理という文化は存在しなかった。フォーリオンに料理という文化を伝えたのは、地上を視察していた一人の天使なのだという。
「天使の寿命は長すぎて、自分がどれくら生きたかも忘れるほど……そうなると、刺激を求めるようになるのです。例えば、激甘料理とか」
クスッと笑う。リルリラも得たりと頷いた。
「そういえば天使さんは濃い味が好きですよね」
「私自身は薄味が好みなんですけどね~。エルトナ風の健康食も研究中なんですよ」
「じゃあ、今度仕入れてきます!」
リルリラは気軽に約束し、これは大層喜ばれた。
……これで彼女は"地上の物資を調達したうえでフェディーラに再度、目通りする"という約定を取り付けたことになるのだが……これを意図的にやっていたとしたら大した外交官である。
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やがて料理が出来上がる。
彼女はネリメルの分だけでなく私とリルリラ、それに周囲の天使たちの分も作り上げ、その場で振舞った。自然、食事会となる。その味は……ここが天星郷でなかったなら、天にも昇る心地、と表現していただろう。
美味いものを食えば口も軽くなるというものだ。天使たちは互いに談笑をはじめ、リルリラも自然とそれに加わった。私も耳を傾ける。
中でも盛り上がった話題はやはり、ここで試練を受けた英雄たちの話だった。
「英雄リナーシェは見事でしたね~」
「慈愛と母性に満ちた彼女なら、この試練は楽勝ですよね」
我がヴェリナードの祖とされる歌姫の名に、私は耳ヒレをピンと立てて聞き入った。
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天使フェディーラが取り仕切る深翠の試練は、彼女が用意した魔法の卵を孵化させるという一風変わった試練だそうだ。
十分な栄養を与える必要があるのは勿論だが、それ以上に英雄自身の資質や精神性がものを言う。
もし英雄が、邪心や我欲をもって試練に臨んでいたなら……
「卵から生まれてきた怪物に、魂ごと一飲みで……」
一巻の終わり、というわけだ。
「古くは霊界探偵の資質を試すテストとして使われていた手法なんですよ」
天使の一人がそう解説した。由緒ある試験なのだ。
英雄リナーシェはこれをソツなくこなし、タナゴから孵ったヒナは美しくも神々しい姿をしていたという。私はなんとなく誇らしい気分になった。
「でもハクオウさんは大変でしたね~」
と、誰かが呟くと、フェディーラは談笑を止めて静かに瞳を閉じた。その姿に私は一瞬、視線を奪われる。森がにわかに音を無くしたかに思えた。
そしてゆっくりと口を開く。
「ここだけの話ですけど……この試練は元々ハクオウさんのためのものだったのですよ」
どうやら、思わぬ話が聞けそうである。私は無言で耳を傾けた。