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目当てのものを入手した我々は、一直線に帰路につく……などという勿体ないことはせず、大いに散策した。一応、天使クリュトスに感想を聞かせるため、という言い訳もたつ。利害の一致というわけだ。
岩の柱に囲まれた北部の泉は神秘的な色に輝き、南部の果樹園では、宝石のような果実を実らせた樹々が静かに木の葉を舞わせていた。
あくまで人工の……などという余計なことに気を回さなければ、目の保養としてはこの上なしと言える。
「で、どうでした?」
天使クリュトスは神殿へと戻った我々を自信に満ちた笑みで出迎えた。私とリルリラは、やや答えに詰まった。クリュトスは、なにやら察したようだった。
表情を引き締めつつ、再び笑みを浮かべる。
「忌憚のない意見を言ってくれて構いませんよ。改良にもつながりますからね」
「いえ……美しい景色でした」
私は遠慮した。天使の慧眼はそれを見咎めた。
「それだけではないのでしょう?」
「……私はかつて、魔界を旅したことがあります」
と、私は一見して無関係な言葉を口にしていた。クリュトスは意外そうに眼を見開いた。
そして次の一言は、彼の瞳孔まで見開かせることになる。
「魔界は豊かでした」
リン、とカウンターの鈴が鳴った。クリュトスの手が、台に触れていた。私はあえて反応を待たず、続けた。
「魔瘴にまみれた大地。狂暴なモンスター。お世辞にも平和とも裕福とも言えません」
紫毒の渦巻く大地を思い出す。そこに立つ自分の姿も。
「……しかし風土も文化も違う国々がそれぞれに主張し、覇を唱え、軍馬と商人が道を通してそれらを結びつける。街道を一つ超えるたびに、新たな出会いがあった。それは豊かな旅でした」
山岳の軍事国家バルディスタ、深き森に佇む魔導と伝統の国ゼクレス、そして砂の大地と、商人の熱気の上にそびえる新興国ファラザード。あらゆるものが絡み合うあの世界は、危険ながらも豊潤であったのだ。
「天の旅は貧しい、と?」
「……あくまで試練の場でしょうから。それを求めたものではないのでしょう」
私の答えはしかし、天使の問い返しを否定するものではなかった。クリュトスは食い下がる様に私を見上げ、言った。
「魔界は争いの絶えない大地だったと聞きます」
「事実です」
私は頷いた。
「この天星郷のように統一されておらず、勢力は入り乱れ、平和とは程遠い……ですがあの世界は、豊かでした」
クリュトスはもう一度、カウンターの台に触れた。先ほどより小さく、鈴が鳴る。
「私はこの店と試練を通して地上の人々をよく観察してきたつもりです」
彼はカウンターの先に目をやった。視線の先には多種多様な、商品の山。
「それでも……天使とアストルティア人の価値観は交わらないのかもしれませんね」
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私は目を閉じ、丁寧に一礼した。
私の発言は天界の住人からすればあまりに無礼な内容だったに違いない。それを文句ひとつ言わずに聞いてくれただけでも、この天使は寛大なのだ。敬意は示さねばならない。
「感謝しますよ。ちょうど準備も整ったところですし、試練の参考にさせてもらいましょう」
クリュトスは静かな微笑と共に神殿の入り口を示した。
ドアから光が溢れる。
そして……
「あっ……!」
私は思わず声を漏らしていた。
開いたドアの向こう。そこにあったのは、麗しくもたおやかな立ち姿。
濡れるような瞳。輝くような金髪。そして柔らかな曲線を描く耳ヒレ。
我がヴェリナードの祖、始原の歌姫リナーシェの姿だった。