「天使アルビデにはご不満かもしれませんが」
と前置きして、クリュトスの説明が始まった。
「黄金の試練では地上人と関わってもらいます。事前に了承して頂いた通り、この店に下界の人々を招き……」
……英雄達には店番を担当させる。そして客の満足度、すなわち売り上げによって英雄の資質を見定める。一風変わった試練である。

地上に帰れば客の記憶は消えてしまうとのことだが、それでも地上人を試練に参加させるという案は……
「前代未聞だ! まったく……大魔王の過激思想に汚染された地上人がこの天界にやってくるかもしれんのだからな!」
アルビデが喚いた。クリュトスが抗弁する。
「試練のため、地上人の召喚は必須事項です」
「だから過度の接触を防ぐため、私が監視を買って出たのだ。彼女を推薦した導きの天使として、責任がある」
二人の天使はやや激しく論を交わしたが、結局アルビデの監視の元での試練となった。クリュトスは、やや不満顔だった。
始祖リナーシェは……その諍いを、終始無言のまま見守っていた。
男たちの争いを、静水の如き微笑のままで。
そして彼女は言い争いの波が引くのを待ち、滑り込むように笑顔を弾ませた。
「お二方ともご心配なく。無駄話はせずに、お客様には満足して頂けばよいのでしょう?」
二人が振り向く。一歩引いて男たちの立場を尊重するような、それでいて子供をあやすような独特の声色だった。華やかな美声が嵐の海原を彼女の色に染めていく。
私は圧倒された。これは一種の魔術だ。
「無力な女の私にどこまで上手くやれるかわかりませんが、精一杯務めさせていただきますわ」
始祖リナーシェは優雅に一礼した。その所作は上品で優美、たおやかで控えめ。
だが、理想的淑女の完璧に慎ましい微笑の裏には、圧倒的な確信があった。
彼女は間違いなく、上手くやるだろう。男どもが何を言い争おうとも、何を懸念しようとも、彼女は全て完璧に、丸く収めてみせるだろう。奥ゆかしい笑顔のままで。

私は……恐れ多い話だが……少しだけ彼女を怖いと思った。
*
退去を命じられた我々は帰路につく。試練の様子を見られないのは残念だが……あの様子ならば、万に一つも失敗はないだろう。
神殿を振り返り、リルリラが呟いた。
「カッコよかったねえ、リナーシェ様」
「……英雄、ということだろうな」
「魔法戦士サマとしては、ああいう人に仕えたい?」
リルリラはからかうように笑った。
私は一瞬、返答に詰まった。あの瞳。あの美声。そして……
「……あの笑顔に跪くのは、避けたいものだ」
気づけば、私はそう答えていた。
どうして? とリルリラは私を見上げ、無言のうちに問いかけた。怖いからだ、とはまさか言えまい。
「……完璧すぎるのさ」
私は軽く笑って肩をすくめた。
「たまに驚いてくれるくらいがちょうどいい」
ああ……と、リルリラは得心したように頷いた。
「あの人を驚かすのは、ちょっと大変そうだもんねえ」
「だろう?」
「ヴェリナードの女王様も大概だけど」
「私には無理だが、メルー公が時々やってるさ」
だからこそ、陛下にとって……ひいてはヴェリナードにとって、あの小太りの王配殿下はかけがえのない存在なのだ。少なくとも、私にはそう思える。

「そういえば」
と、リルリラがもう一度神殿を振り返った。
「王国をつくった人なら、子孫を残したんだよね? どういう人と一緒になったのかな」
「さて、なあ……」
始祖リナーシェの伝説は暴君バサグランデの時代に散逸し、失伝している。私が知っているのも、ヴェリナードの祖となった人物ということだけだ。
だが、一つだけ言えることがある。
あのお方と結ばれて幸せになれる男は、始祖リナーシェと対等に伍せるほどの傑物か、さもなくば愚者だろう。
「願わくば、前者であってほしいものだが」
私は何故か、ヴェリナードについて聞いた時の彼女の瞳を思い出していた。
深く、暗い水底を覗き込むような……それは海中に渦を巻く、砂塵の色だった。
その意味を私が知るのは、もう少し後のことになる。
*
さて、リナーシェ様との邂逅ですっかり忘れかけていたが、我々の任務は神鉱石の運搬である。
天使コルテーシュは鉱石を受け取ると、それを使って大量のゴールドを"処分"したわけだが……
「……これは予想外」
ばつの悪そうな表情で彼女は雲の下を覗き込んだ。私は首を傾げる。
「何か問題でも?」
「問題っていうほどではないんですが、下界に還元したゴールドがちょっと、一か所に固まりすぎちゃったみたいで」
「……?」
その夜、アストルティアでは"奇妙な物体"が目撃されたという。
だが、それはまた別の物語である。