いにしえの時代、神々は地上を直接的に治めていたのだという。
だが竜神ナドラガとの戦いを経てその肉体は入滅し、地上の統治は人の手に委ねられた。
今は信仰の対象として、間接的にアストルティアを見守るのみ。それが現代における神と人の関係だった。
しかし、それを良しとしないものがいた。
天使長ミトラー、かく語りき。

「女神ルティアナが身まかられた今、アストルティアは神の力を必要としている。抽象的な信仰の対象としてではない。戦力として……世界の守護者としての神々が必要なのだ」
私はリルリラの表情を窺った。
僧侶としての彼女は、かつてこんなことを言っていた。
「祈れば助けてくれる神様なんていなくてもいいけど、お祈りはできた方がいいよね」
……天使長はどうやら、真逆の思想の持ち主のようだ。

「それで、神々の創造、か……」
崇めるべき神を自分たちの都合で作り出す。不遜とも思える計画である。
「まさに天使のように大胆に、だな」
だが彼らは悪魔の細心さに学ぶべきだった。
儀式は失敗だったのだ。
英雄が神へと化す中で何らかの異変が起き……
「英雄たちは豹変し、手の付けられない悪神となって地上へと舞い戻った、と。そういうことだな?」
「そのようです」
ナナロは頷いた。
私は始祖リナーシェの完璧すぎる微笑を脳裏に思い浮かべた。あの完璧さが裏返ればどうなるか? 背びれを悪寒が襲う。ノーブルコートが私の体を締め付けるようだった。
天使長を中心に原因の究明が進められているが、調査に当たる天使たちの顔には憂いがある。怖れと言ってもいい。
自らの手で神を作り出す。その不遜。その禁忌。
目の前の事態は、驕れる天使に課せられた報いなのではないか……?
言葉には出さずとも、そんな不安が伝わってくるようだった。

「不幸中の幸いは、全ての英雄様が悪神と化したわけではない、ということですね」
ナナロは続けた。
「現代の英雄様と、プクランドのフォステイル様……少なくともこの両名は、儀式に参加していなかったそうです」
フォステイルは儀式の前日から行方不明。現代の英雄殿は、とある理由で儀式を後回しにされたのが、かえって幸運だったようだ。
その理由というのが、実に馬鹿馬鹿しい……というか、もはや不思議とさえ呼べる、ある天使の愚劣な行動によるものだったのだが……まあ、省こう。
「まだ色々と聞きたいことはあるが、おおよその話は理解した」
私はノーブルハットを目深にかぶり直し、そして
「では手続きを頼む」
と、唐突にそう言った。
「……何の手続きでしょうか?」
ナナロが、何かを察知したように警戒心をあらわにする。私は構わず続けた。
「無論……我々が地上に戻る手続きだ」
沈黙。空気が張り詰める。リルリラは背中につけた仮装用の翼を取り外し、折り畳んだ。

私とリルリラは元々、天使について調査する中で宿屋協会の秘密に触れ、拉致同然に天星郷へと連行された。本来なら、彼らが許可するまでは地上へは戻れない約束だ。だが。
「ここに来た時、私は言ったはずだ。もし天使たちが地上を害するなら、ヴェリナードの魔法戦士として対処する、と」
地上に降りた悪神達により、すでにアストルティア各地に混乱が生じている。もはや天使の下働きをしている場合ではない。
「断れば、どうなります?」
「地上への被害とその責任について、天使たちに直談判するだけだな」
事も無げに私は言った。
これは駆け引きである。盤上、駒は一つ。私一人がどう暴れたところで、事態は解決しないだろう。だがこのタイミングで地上人が抗議に現れれば間違いなく神都は乱れる。しかも私は、仮にも協会員として天界で活動した一人なのだ。
協会員がトラブルを起こしたとなれば、宿屋協会の信用問題にも繋がる。環境は手札。
ナナロはしばし考え込んだ後、あきらめたように首を振った。
「代表に掛け合ってみましょう。ただ……」
彼女は念を押すように言った。
「ここで知ったことはご内密に」
「どうかな」
ナナロは流石に私を睨みつけた。が、今度は私が首を振る。
「無駄な問答はよそう。どの道、英雄殿も地上に向かうんだろう? 各国に連絡を取るはずだ。となればアストルティア首脳陣もおおよその事情を知ることになる。私一人の口を封じたところで仕方があるまい」
「……道理ではありますが」
協会にも協会のスジというものがある。ナナロもそこは譲ろうとしなかった。
「……わかった。君らのメンツを潰さないよう、配慮はする」
私は少しだけ折れた。ナナロは掛け合ってみます、とだけ返した。
私とリルリラが再びアストルティアの大地を踏んだのは、それから三日後のことだった。