雷雨。雨粒の群れが私の耳ヒレを殴りつける。帽子が吹き飛んでいかないよう、私は必死で抑えねばならなかった。
海は荒れ、波は牙をむく。いつもなら遊泳客でにぎわう常夏のジュレットビーチが、今はまるで地獄絵図だ。
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ジュレットは記録的な大嵐に襲われていた。それも、もう何日も続いている。
海に近い下層地域の住民には避難勧告が出され、裁縫ギルドの風車塔もあまりの暴風に悲鳴を上げている。
だがその船乗りは逞しい身体を風雨に晒し、会心の笑みを浮かべてこう言った。
「船ならいつでも出せますよ」
雷鳴が轟いた。波は桟橋を飲み込まんばかりに荒れ狂う。
「そうか」
と、若く決意に満ちた声が届く。私はその場に傅いた。
荒ぶる風が青年の頬に、横殴りの雨を叩きつける。押しのけるように彼は前を見る。少々気負ったその表情は危うくもあり、頼もしくもある。
「魔法戦士団も、準備はいいな!」
「全て整っております」
私は答える。青年は頷き、後方に待機していた同行者に目を向けると、やや柔らかな口調で確認した。
「君達も、行けるかい?」
同行者は頷く。最後に、最後尾に控える少女に向かって、彼は気づかわし気な視線を送った。濡れた黒髪を片手で抑え、少女は頷く。額を飾るティアラは王族の証だ。
「セーリア、大丈夫だね?」
「ええ、オーディス王子」
「よし……」
青年……ヴェリナードの王子オーディスは嵐の海に向かって宣言した。
「では出航しよう!」
雷鳴が海を揺らした。
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私の名はミラージュ。ヴェリナードに仕える魔法戦士団の一員である。
天星郷フォーリオンから戻った私を待っていたのは蠢く暗雲と、荒れ狂う嵐であった。
……見ての通り、比喩ではない。
恐らく、下天した悪神達の仕業だろう。アストルティア各地に異変が起こっていた。ウェナ諸島では天候が大いに乱れ、特にジュレットは御覧の有様だ。
ヴェリナードも住民の避難、救助等、全力で対処に当たっているが、これは耐え凌げば去ってくれる自然災害の類ではない。
元凶を絶つ必要がある。すなわち、現世に舞い戻った悪神を。
……との報告をヴェリナード上層部に伝えたのは、私ではなかった。
「勇者の盟友殿が、様々な情報をもたらしてくれたのだ」
ユナティ副団長が、復帰した私にそう告げた。
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どうやら"勇者の盟友"にして"現代の英雄"と呼ばれるあの人物は、私より素早くアストルティアに戻り、既に対処に当たっているらしい。まったく、働き者にもほどがある。
「貴公もこれまでの分を取り戻してもらわねばならんぞ。何しろ……」
と、副団長はそこで唇を奇妙な形に歪ませた。後ろで聞いていた団員たちも口元を抑える。私は首を傾げた。
「イヤ、コホン……風呂場で滑って腰を打って、寝込んでいたそうじゃないか」
「は……?」
誰かが失笑を漏らした。私は嫌な予感がした。
天星郷にいた期間のことは、宿屋協会の方で誤魔化しておく、と言っていたが……
「クク……リルリラ嬢につきっきりで看護してもらっていたとか……当分、頭が上がらんな」
笑い声が広がる……ええい、ナナロめ! ロクサーヌめ! 一体どういう誤魔化し方をしたんだ! 私は憤りに肩を震わせた。その肩に副団長はポンと手を置いた。
「ま、まあ恥じることはない。以後も任務に励んでくれ」
「ハ……」
感情を押し殺して、私は敬礼した。またも笑いが巻き起こる。……ええい!
しかしこうして滑稽味を演出することで、それ以上聞いてやるな、という空気を醸し出すことには成功している。悔しいが効果的と言わざるを得ない。
まったく、宿屋協会め……つくづく恐るべき組織である。