コツリコツリと固い足音が響く。夜風に紛れた潮の香りが、懐かしい記憶をくすぐる。そしてそのあまりに馴染んだ感覚が、決定的な違和感となって我々の全身を襲う。
美しい曲線美と貝殻を模した意匠で飾られた白亜の宮殿が、我々の目の前に確かにあった。
ヴェリナード城。
呆然と自分の故郷を見上げるオーディス王子に、セーリア様は静かに語った。
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「コルレーンのリナーシェ女王とジュレド王国のヴィゴレー王。二人の婚姻により両国は合併。新しい国が誕生します。その国こそが……」
「ヴェリナード、というわけか……」
王子はようやく納得の表情を見せた。リナーシェ様がヴェリナードの始祖と呼ばれる理由がこれだ。我々は今、歴史に立ち会っている。
と言っても、頭上に渦巻く混沌の渦を見れば、これが本物の過去の世界ではなく、あくまで始祖リナーシェの記憶の中であることは間違いないのだが。
「僕の中にも、リナーシェ様の血が……」
王子は小さく握った自分自身の拳を見つめ、そしてため息をついた。セーリア様は何か言いかけたが、口をつぐんだ。
この場所に至るまで、幾度かの戦闘があった。時には苦戦を強いられることもあった。盟友殿の働きもあって大きな被害が出ることはなかったが、そのたびに肩を落とすのが、オーディス王子だった。
自らセーリア様を守るのだと勇んで出陣してきたにもかかわらず、思うような戦果を挙げられない。どころか、周囲に助けられ、守られている。父の期待。母の戒め。何より自分自身への怒り。その不甲斐なさが彼の肩を震わせるのである。
そして私は迂闊にも、彼がこう呟くのを隣で聞いてしまった。
「僕には王となるだけの資格があるんだろうか……」
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今は未熟でも、明日がある。彼に無限の未来があるならば、そんな台詞が全てを解決するだろう。
だが時は流れる。いつまでも未来ある青年ではいられない。いつの日か、と呟く間にも季節は巡り、木々は色あせ、空は冬枯れの灰白色に染まるのだ。
故に、焦る。焦ればこそ、勇み足もある。それが成長を阻害する。混沌の渦に乗り出す小舟のように、彼の航路は荒れ模様だった。
私は一瞬、青年の表情を窺い、すぐに目をそらした。私はあくまで臣下の身。不遜である。
加えて言うなら、私は王子の呟きを聞いた瞬間、何歩か後ろに下がるべきだった。他の魔法戦士団員がそうしたように。
だが私はどこまでも迂闊だった。若き王子の心情に思いを馳せ、その場にとどまってしまった。
それが隙となった。
「ミラージュ、君の感想でいいんだが」
と、彼は顔を上げ、隣にいた私の顔を直視した。
「僕は戦力になっているだろうか」
私は、ミスを犯したことを知った。
他の団員に助けを求めようとしたが、いずれも数歩……いや十歩も後ろに下がっている。答えづらい質問が飛んでくる気配を、察知できなかったのは私だけだった。
まったく……! 容量の悪い自分が嫌になる。私も宮仕えとしてはまだまだ未熟らしい。
「率直な意見を聞かせてほしい」
王子の瞳は真摯だった。
私は迷った挙句、直接の返答を避け、巫女姫の黒髪に視線を向けた。
「……セーリア様は傷一つなくご健勝であらせられます。護衛として何よりの成果かと」
「君達がいるからさ」
若者は首を振った。
「それに……強力な助っ人もいる」
彼は盟友殿の方にちらりと視線をやった。蹴散らした敵の数は、もう数え切れまい。王子はため息とともに肩を落とした。
「リナーシェ様は一人で国を守ろうとした。僕は頼ってばかりだ」
そびえ立つ白亜の宮殿が若者の影を見下ろす。偉大なる始祖。大いなる歴史。美しくも懐かしいヴェリナード城の威容が今、その重みをもって彼の頭上を覆うのだ。
私は……少しだけ覚悟を決め、その陰に踏み込むことにした。臣下として……というより、悩める若者の隣に偶然、居合わせた男として……。迂闊と言われれば、返す言葉もない。
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「……殿下の剣術も間違いなく達人の域に達しようとしています。それでもなお、盟友殿と比べるなら……足元にも及ばないというのが正直なところでしょう」
王子の握り拳に力がこもる。私は首を振った。
「この差は埋まりません。才能とは、時に残酷なものです」
「……そうか」
拳の力が緩む。諦念と共に。
「ですが」
と、私はさらに続けた。
「王たるものの為すべきことは別です。盟友殿がここで戦うことができるのも、殿下が魔法船建造を指示し、デーラ氏のような有能な船乗りを確保していたおかげではありませんか」
王子はまだ納得のいかない顔だ。私は語気を強めた。
「殿下は盟友殿が持っていないものをいくつもお持ちです」
「生まれながらの身分ゆえに、だろう?」
彼は自嘲的に首を振るのだった。