古く、半ば朽ちた燭台に火を灯すと、カビ臭いチリが舞い上がる。青白く染まった遺構に私自身の影がゆらめき、薄暗い地下墳墓に無数の棺が浮かび上がった。
私は一歩足を踏み出す。
風の音にも似た音が、声となって私の耳に届く。
「指輪を……」
私は彼の望むものを差し出した。
そして彼は、そこにいた。
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半ば透き通ったその顔は、この世のものではありえない。亡者の虚ろな瞳はただ、私の差し出した指輪だけに注がれている。
彼の名はヴィゴレー。
600年前、ジュレド王国を治めていた王。
そして始原の歌姫リナーシェを殺害した男である。
*
悪神の引き起こした災害も収まり、ウェナ諸島は平穏な日々を取り戻しつつあった。
そんな中、私の元に舞い込んだのは、ジュレイダ連塔遺跡の亡霊騒動だった。
ジュレット地方の地下に存在するこの遺跡は、歴史書にもほとんど記されていない謎の建造物である。
内部には意味ありげに設置された巨大な音叉とカラクリ装置の残骸が並ぶ。一部の用途は解明されたものの、そのほとんどは未だ謎に包まれている。
そこで、"潮騒の宝石箱"の探索で功績を上げたトレジャーハンターのテゾーロ氏が、王立調査団と共に調査に乗り出したのだが……
「突如として現れた大量の亡者に襲われ、やむなく撤退。救援を願います!」
とのことで、私にお鉢が回ってきた。
亡者の群れとの大立ち回り。やがて明らかになる盗掘者の存在。
最終的に、盗まれた指輪を取り返すことで悪霊を静めるという段取りになった。
やや駆け足でまとめてしまったが、そういうことである。
今、私はその指輪を手に掲げ、亡霊と対峙する。
600年前の大罪人と。
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彼……ジュレド王ヴィゴレーは指輪を確かめると、鷹揚に頷いた。
「部下たちが勝手をしたようだな。だが指輪を取り戻してくれたこと、礼を言おう」
思ったより理知的な声だ。それが私の第一印象だった。
「盗人の始末は、お前たちの好きにするがよい。元より私には、裁く権利など無いのだから」
痩せこけた顎が無感情に動く。
周囲の霊たちが騒ぎ立てた。栄えあるジュレドの王として、咎人を裁くべし、と。いきりたつ霊を王が諫める。
「ジュレドの栄光など、もはや過去に過ぎぬ」
眉一つ動かさず、彼は言う。悪霊と呼ぶにはあまりに無気力に見えた。
私は少し、彼に興味を持った。
「この塔が、王の墓地だったとは存じませんでした」
「我が名も、国も、もはや忘れ去られた。……だが犯した罪は消えぬ」
彼は静かに瞳を閉じ、しかし首を振った。
「私は自分の罪に臣下の者たちまで巻き込んでしまった。死しても逃れ得ぬ永劫の呪縛……一人、また一人と正気を失っていった。お前たちには面倒をかけたようだが、彼らのことは許してやってくれ」
亡霊の言葉は、真摯であった。
私は意外に思った。
悪辣なるヴィゴレー。始祖を弑せしジュレドの悪王。
始祖リナーシェの記憶にあった冷酷な男と、思慮深く臣下を気遣う目の前の亡霊が、同一人物とはとても信じられなかった。
聞けば、遺品を盗み出す盗掘者の蛮行も彼は元々は不問に付していたそうだ。だが彼が生涯、肌身離さなかった指輪までが盗まれたとあって、ついに部下たちが暴走した。
それが今回の騒動の真相だった。
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「では、指輪をこちらに。」
彼はそう言った。
私の掌の上で、青く美しい宝石が静かな輝きを放つ。海の色。
私はこの指輪を知っていた。
実物を見るのは初めてだったが、この色、形には見覚えがあった。
始祖リナーシェの記憶。その中でも最も深く美しく、そして暗い場所で。
「ジュレドの王からコルレーンの女王へ贈られた指輪、ですな」
「ああ」
亡霊は無感情に頷いた。
「妻に贈った指輪だ」
私はその虚ろな瞳に何らかの感情が宿るのを期待し、鋭く覗き込んだ。
始祖リナーシェへの愛の証。のちに鮮血をもって破られることとなる宣誓の指輪だ。
事件が露呈した後、この指輪もコルレーンから突き返された。獄中のヴィゴレーは生涯をこの指輪と共に過ごしたという。
そして今また、亡霊は虚ろな瞳の更にその奥から、瞬きもせずにその輝きを見つめていた。
青い輝き。在りし日の輝き。
「しかし我らが始祖リナーシェ様を、貴方は……」
「そうか。お前はカルーモが残した王国の兵か」
彼は合点がいったように頷いた。
「ならば私が憎かろう」
そして彼は何かを促すように私を見つめた。
風が石つぶを転がし、鎮魂の鐘がかすかに鳴った。音叉が鋭くそれを捉え、波紋を広げていく。
私は……深入りすべきでないと思いつつ、見えない何かに背中を押されるようにして口を開いていた。
「貴方は何故……リナーシェ様を裏切ったのです」