私は手元の書類を確認した。
天星郷の資料からこっそりと書き写した写本に私の調査結果を加えた独自資料だ。挿絵には憂いを秘めた端正な顔立ちの青年が描かれている。
エルフ族の英雄、ハクオウ。彼はかつて時の王者と称された英雄で、当代随一の剣の使い手だったという。
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「なんかね。天使さんの試練の時も、誰も斬れなかったメチャクチャ硬い木の実をスパッと斬って見せたんだって」
と、リルリラが補足する。私は深く頷いた。
「プルッツフォン・ポイントだな」
「なんて?」
エルフが首を傾げた。
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プルッツフォン・ポイント。あらゆる物質には急所とでも言うべき分子の結合点がある。
その一点を見極め、正確な一撃を加えれば、どんな硬い物質であろうと脆くも崩れ去るのだ。
いわゆる会心の一撃である。
「だがその一点を見極め、正確に突くには神業と呼ぶべき技術が要る。それをいとも容易く成し遂げてしまうとは、さすが英雄……」
「なんか、微妙に胡散臭い感じがするんだけど」
「昔読んだ書物に書いてあったから間違いない」
社の奥から冷たい視線を感じた気がするが、気のせいに違いないので気にしないことにする。
さて、そんな達人だったハクオウだが彼はアストルティア全土を滅ぼそうとする災厄の王に対し、仲間を頼らず一人で戦うことを選択してしまった。
その結果……この世界は一度滅んだのだという。
仲間を犠牲にしたくない一心からの行動だったようだが……
「無謀、と言うべきだろうな」
「ふーん」
エルフの娘はニヤニヤと私の顔を見上げた。
「ミラージュさんがそういうこと言っちゃいますかあ」
「ム……」
目をそらすと、社の奥で輝くものと目が合った。天を仰ぐと、降り注ぐ水滴が目の上に落ちてきた。猫がニャアと鳴く。全く……私は肩を落とす。
実を言えば、私も災厄の王とは無縁ではない。戦ったことがあるのだ。三代目、時の王者として。
と、言っても三代目の時の王者は私一人ではない。無数の騎士、兵士、冒険者たちが資格を得て、代わる代わる戦ったのだ。
有名な"呪われた島"の伝説では、"百の勇者"が魔神王の迷宮に挑んだというが……災厄の王に挑んだ冒険者の数はそれをはるかに上回るだろう。私もその一人というわけだ。
だが……当時の私は頑なだった。
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冒険とは誰にも縛られず、自分一人で行うもの。魔法戦士団の面々やリルリラ、ニャルベルトといった"身内"、あるいは金で雇った冒険者の手を借りることはあっても、本質的に"誰か"と共闘することは考えていなかった。事実、それまではそれでどうにかなっていた。
そして私は無謀にも、災厄の王が待つ"闇の溢る世界"に、独力で挑戦したのである。そう、英雄ハクオウと同じように。
もっとも、私とハクオウには二つ、違う点があった。
一つ、私が一人で戦おうとしたのは単なる個人的な拘りであって、ハクオウのような他者のための志があったわけではなかったこと。
一つ、私はハクオウより数段劣る腕前でしかなかったこと。
私は災厄の王のもとにたどり着くことすらかなわず、途中で引き返す羽目になった。
無様の極みだが……おかげで命を落とさずに済んだというわけだ。
自分の無力さを知り、打ちひしがれた私の前に、"友人"と呼べる冒険者の一人が共闘を申し出てくれた。
自身の拘りを貫いて立ち止まるか。それとも一歩踏み出し、前に進むべきか。
悩んだ挙句、私はその手を取った。
そこから、全てが始まり……
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「色々ありましたねえ」
いつの間にやらゴザを敷いて座り込んだリルリラが持ち込んだ菓子を食べ始めた。いくつかは供え物として社にささげる。
「色々あったな」
私も腰を下ろし、菓子をつまんだ。猫が丸くなる。
あの時、共闘した仲間たち。また、それをきっかけに知り合った友人たち。彼らがいなければ私の見ている光景は全く違ったものになっていただろう。
ハクオウに、そんな仲間たちがいたならば……
などと自分と英雄を重ねてみるのは、少々不遜か。
「ともあれ、依頼完了だな」
我々はしばし休憩ののち、改めて土地神に祈りを奉げ、この場を立ち去ることにした。
音を鳴らして二度、手を叩き、頭を下げる。
脳裏に浮かんだ顔。
友人たちの中には今も冒険者として日夜活動を続けている者もいれば、引退した者もいる。もう何年も合っていない者もいる。
彼ら全ての息災を祈り……
「じゃ、帰ろうか」
「だニャ」
隣に立つ者達のことを祈る。
社の奥に、微笑むような輝きが灯った。
連なる鳥居が参拝客を帰途へと導く。
天井から水滴が落ち、湖面が雅に鼓を打った。
そして今年もまた、冒険の日々が始まるのである。