酔いつぶれたプクリポがテーブルに突っ伏す。天使が文句を言いながら自分の器を退避させ、隣の冒険者が笑いながら冷えたグラスをプクリポの頬に押し付ける。
喧騒。ルイーダの酒場は酒気と熱気に包まれ、誰かのくゆらせた煙が天井を漂う。純白の翼が少しぼやけて見えた。
私は息を吹きかけ、煙をかきまぜた。天使と地上人が同じ席で酒を飲む。少し前までなら考えられなかった景色である。
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元来、天使という生き物は気位が高く、地上人をあからさまに見下すものも少なくない。
前に私が神都を訪れた時も、全てとは言わないが住民の何割かは明らかに私を蔑視し、中にはあからさまに攻撃的な言葉を投げつけてくる者すらあったのだ。
どうやら天星郷に招かれた"現代の英雄"殿……冒険者の間では近頃"エックスさん"の名で呼ばれている人物が"大魔王"の称号を持ち、魔族の支持を集めていることが彼らの気に障ったらしい。
だが二度目の来訪となる今回、街を歩いてみて気づくのは、彼らの視線が以前とは違っていることだった。
かつて刺々しい視線を送っていた人々が、どこか後ろめたそうに視線を逸らす。すれ違う時、傲然と肩を張っていた誰かが、申し訳なさそうに道を譲る。
そして今も、天使たちは不平ひとつ言わず冒険者と方を並べ、時に笑い話に、時に戦術論に耳を傾けている。
もちろん、彼ら戦務室の面々は天空の軍人とも呼ぶべき存在で、偏見にとらわれずプロに徹するよう訓練されているのだが、それだけが原因ではない。
天星郷の空気自体が変わりつつあるのだ。
「地上人が増えたからかニャ?」
猫が首を傾げる。確かにそれもある。そしてもう一つ。天使兵のハルルートが隣に腰を下ろし、沈痛な面持ちで呟いた。
「ヘルヴェル様のことがあったからね……」
「審判の天使ヘルヴェル殿か……」
私もその話は聞いていた。
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かつての過剰とも言える地上人への偏見。それを密かに煽っていたのが天使ヘルヴェルだったというのだ。天界に4人しかいない審判の天使の一人。聖天舎の最高幹部と言って良い。
単に彼女が地上嫌いでそうしていたなら、まだ救いはあったのだが……事実はそうではない。
それが問題だった。
「何者かに操られていたという話だが?」
ニャ! と猫が鳴いた。
「ああ。ご本人がそう仰っていた」
天使がため息を漏らした。
幸いエックスさんの活躍により洗脳から解き放たれ、今は静養中とのことだが……
「黒幕の正体は不明のまま、か」
しかもその後の取り調べで、洗脳を受けたのは審判の天使に選ばれるより前だったことや、彼女の当時の上司もまた洗脳を受けていたことがわかった。
「敵はかなり以前から、内側に入り込んでいたようだな」
「……それが何よりもショックだったよ」
ハルルートはため息をついた。
ヘルヴェルほどの大物が操られていたならば、他の誰が操られていてもおかしくはない。いや事実、他にもいた。
私が以前出会った天使アルビデ……リナーシェ様を天に引き上げたという導きの天使も、同じく意識を操作されていたらしい。
思い返してみれば私が試練場でリナーシェ様と初めてお会いした時、アルビデは接触を阻もうと介入してきた。万に一つでもウェナの正しい歴史を知られるわけにはいかなかったからだ。
「試練の妨害や英雄の悪神化も全て黒幕どもの計画通り、か」
こうなってくると、どこに敵の手先が潜んでいるかわからない。今回、地上人を大量に雇い入れたのも、洗脳されている可能性のある天使よりはまだ信頼できるからではないかと私は密かに思っていた。
天界の内情はガタガタ。下手をすれば疑心暗鬼で組織自体が崩壊しかねない事態だ。
「この状況をまとめ上げて統率してるだけでも、ミトラー様は流石だと思うよ」
ハルルートは酒を飲みほした。天使は酒に酔えるのか? できれば酔いたい気分だろう。
事態は深刻だが、天星郷に呼び寄せられた冒険者にとって、トゲのついた視線を投げつけられずに済むのだけは有難いことだった。聖天舎を通して正式の謝罪が発表され、道行く天使たちは後ろめたさから目をそらすことはあっても、以前ほどの断裂は無くなっていた。
「君らには随分嫌な思いをさせてしまったが……」
「貴公のしたことではないさ」
私は笑い、首を振った。彼女は戦務室所属だけあって以前から地上人の戦技に注目しており、そこに至るまでの研鑽、歴史に敬意を払っていた。
彼女のような人物もいれば、事実を知ってなお偏見を捨てられぬものもいる。天使も人も、そういうところは同じらしい。