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扉を開くと、ひんやりとした空気が部屋からあふれ出た。
続いて、紙の香り。
ページをめくる小さな音。鼻腔をくすぐるインクの匂い。そびえ立つ本棚の群れ。
取り囲む静寂。手にした本の確かな重みと精緻な記述が、来訪者をゆっくりと書物の世界へと導いてゆく。
「ツスクルの知恵の社を思い出しますね」
エルフの剣士が小さく呟いた。リルリラが二度頷く。
ここは神都下層。アストルティア資料館の地下書庫。
酒場での会議は終わり、終わり際に天使ハルルートの受け取った報告……勇者アシュレイの来歴に興味を示した者達が許可を得てここにやってきた。
「これで全員か?」
ハルルートは我々を振り返って人数を確認した。
私やリルリラ、ニャルベルトのほか、エルフの剣士やプクリポの術師といった面々が続く。10にも満たない。
「案外少ないんだな」
「相手を知ると戦いづらくなる。だ、そうだ」
私は天使にそう返した。皮肉屋のドワーフの捨て台詞だ。天使は頷き、成程、と答える。
「しかしですな」
と、プクリポの術師がしたり顔で語った。
「敵を知ることは兵法の第一歩でもありますぞ」
「単純に好奇心もありますが」
エルフの剣士が微笑を浮かべる。天使は口を尖らせた。
「好奇心で暴くには、重いぞ」
「知識欲が蛮勇を振るい、掘り起こした先の歴史を現代に繋げるなら、意味はありましょう。過去は単純に、過去ではないのですから」
雑然と並べられた本の背表紙が無言のまま頷いた。まずは知ることだ。
手渡された資料の一つ残らずに『部外秘』の印がある。
許可を取るのにに苦労した、とはハルルートの言葉だった。私は天使の寛大さに礼を述べてから回転椅子に腰掛け、まずは古い方の資料をめくり始めた。
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勇者アシュレイ。双子の弟レオーネと共に大魔王ゴダの侵略に立ち向かった初代勇者。
当時のレンダーシアは複数の部族がそれぞれの領土を分割統治しており、アシュレイは最大勢力の一つ、ゼドラ氏族の勇者だった。
一方、弟のレオーネはレビュール氏族に養子として引き取られ、レビュールの勇者となる。
やがて逞しく成長した二人の勇者の元、二つの部族は手を取り合い、世界を脅かす魔に立ち向かう。
戦いの中でレオーネを失う悲劇に見舞われるものの、見事大魔王を退けたアシュレイは真の勇者と称えられ、その功績をもって両部族を統合。レンダーシア全域を治める神聖ゼドラ王国の初代国王に即位した。
……それが天使たちのまとめ上げた、いわゆる"歴史"というやつだった。
「事実を並べればそういうことになる、が……」
私はもう一つの真新しい書類の束をめくり始める。
それはアシュレイ自身の語った自らの過去。歴史書に刻まれることのない彼自身の苦悩。栄光の初代勇者が生涯抱え続けた闇の側面だった。