戦士たちが空を行く。
先行するのは戦務室の天使達。彼らが自前の翼を力強く羽ばたかすたびに空は白く切り裂かれ、気流が新たな雲を生む。その速度はドルボードの比ではない。
『敵影を確認』
連絡石から天使ハルルートの声が響く。私は前方を、そして地上を見た。雲が走る。眼下には人工の森。私は石を口元に当て、頷く。
「こちらも予定の位置に到着した」
『了解。サン、ニイ、イチで仕掛ける!』
「武運を祈る!」
天の戦士達は雲を飛び越え、魔の軍勢に光の矢を一斉射。戦闘の口火を切った。
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魔物たちは先制攻撃にひるまず、天使兵に襲い掛かる。天使は応戦しつつ距離を取り、後退。そして転身。魔軍はそれを追う。
白と黒の翼が雲を裂く。空を駆ける者たちの速さ比べが始まった。
一方、我々は"深翠の試練場"の名で呼ばれる緑深い大森林に陣取る。天使兵が敵をこちらに誘導し、ここから奇襲を仕掛ける作戦だ。退却する神殿兵の進路から敵を引き離しつつ、一気に攻勢に出る。
この作戦は当たった。
冒険者達の急襲が魔軍の脇腹を突き刺す。イオグランデの爆風が疾風天狗の一団を吹き飛ばし、ジゴスパークの雷鳴がニジクジャクの翼を焦がす。サイクロンアッパーの竜巻にデスフラッターは奇声を上げ、ビッグバンの業炎にジラフマスターが狂乱する。地上人は奮戦した。奇襲の利を生かし、"溜め"の必要な大技を初手から叩きこむ。ここでいかに数を減らせるかが勝負の肝だった。
私もまた愛用の弓からサンライトアローを放ちつつ、折を見てドルボードの翼で空へと舞い上がった。素早く周囲を見渡すと、囮役を務めた天使達が空中をターンし、戻ってきたところだった。霧状に空を包む雲が散り去る。
私は連絡石を口元に当てた。
「敵は予定より深く入ってきた。南西より回り込んで援護を頼む!」
『了解した!』
私の指示で天使の兵団が上空に陣取り、奇襲のショックから立ち直りつつある魔軍に第二の矢を放つ。
地上の敵に対応しようと降下した魔物たちにとっては、天と地からの挟撃となった。混乱が魔軍を襲う。地上部隊が畳みかける!
全ては順調だった。冒険者たちの目にも、確信の光が灯り始めた。
だがそれも魔軍の中心に、黒くおぼろな影が浮かび上がるまでのことだった。
*
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"それ"は音もなく、深翠の大地へと降り立った。
着地と呼ぶのも憚られる等速直線運動。重さを全く感じさせないその動作は他の魔物達とは明らかに異質だった。
冒険者たちは一斉に距離を取る。歴戦の勘がそうさせたのだろう。私も弓をしまい、盾を取り出して身を守った。僧侶のリルリラは木陰に身を隠す。
影は動かない。こちらの動きをまるで意に介さず、物憂げに天を仰ぎ、ゆっくりと視線を巡らせる。空に、森に。
そして我々に。
息を飲む。
射貫くような眼光……ではない。舞い落ちる木の葉を見るのと同じ目で、それは私を一瞥した。その瞳には戦闘の高揚も、緊張も、殺意すらもない。ただ深い闇があるだけだった。
魔物達が怯えるようにその影の後ろに下がり、服従の姿勢を取った。
戦場の喧騒が静寂へと変わり、梢を抜ける風が闇を徐々にこそぎ落とす。おぼろだった輪郭が、はっきりと人の形をとり始めた。
高貴にして野趣あふれる古代の民族衣装。赤錆色の長い髪がふわりと揺れる。端正な顔立ちにうかべた表情は空虚。闇を纏う瞳が赤く輝く。
「馬鹿な……」
誰かが呻いた。
舞い降りたその影の主はかつての勇者、あるいは盟友……そして今は悪神の名で呼ばれる、レオーネそのものであった。
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戦場に混乱が満ちる。レオーネが神殿を離れたという報告は無い。
「なら、そっくりさんかよ!?」
ドワーフの喚いた言葉はある意味では正鵠を射ていた。
時として神は、自らの一部を切り取って地上へと遣わすことがあるという。
恐らくは魔物たちを統率するため、レオーネが遣わした分身。悪神そのものの、何十分の一かの断片……。我々が相対したのは、そうした存在だったのだろう。
だがそれを理解したのは、戦いが終わった後のことだ。
悪神の分霊が更なる魔物たちを呼び寄せる。自らの怨念を分け与えたような、黒い影を纏った魔物たちを。
彼は狂笑した。森の木々が一斉に葉を散らす。魔物達が雄たけびを上げる。悪神の狂気と憎悪が、そのまま魔物達の力となるようだった。
我々はただ、恐慌と混乱を抑えながら目の前の敵に対処するのみだった。
激戦となった。
(続く)