
治癒呪文の詠唱が讃美歌と混ざり合い、質素な飾り布を彩る。
救急病棟と化したフォーリオンの礼拝堂。焦る気持ちを抑え、回復に専念する我々の元に一つの報せが届いた。
「"エックスさん"が剣の修理を終え、神殿に向かったそうだ」
「英雄殿、か」
朗報と言えた。考え得る最大の戦力が復帰したのだから。
だが。私は小さく唸った。
現代の英雄。解放者、大魔王。様々な異名を持つその人物の、最も有名な肩書は"勇者の盟友"だ。
そして待ち受ける悪神の名は……
プクリポの術師がフムと顎を撫でた。
「初代盟友と現代の盟友、ですか。……どんな会話をするんでしょうね」
「さて、ね」
あの呪いに一度でも触れた者なら、その呪念を通して彼の過去を知ったはずだ。盟友レオーネの報われぬ人生、非業の死を。
道具使いが手を後頭部に回して毒づいた。
「だいたい、あの巫女サンが全ての元凶じゃねえか」
「巫女ダフィア、ですか」
エルフの剣士が腕を組んだ。

ダフィア。かつて双子の勇者を助けた癒し手であり、のちにアシュレイ王の王妃となった女。そしてアシュレイ王に血と粛清の道を歩ませた影の女傑。
だがレオーネの記憶は、そのもう一つの姿を告げていた。
裏切りの使徒。
大魔王の仕業と偽り、勇者レオーネを石へと変えた背信の巫女。
野心を持つ彼女にとって、傀儡の王として担ぐには、思慮深いレオーネより豪放磊落なアシュレイの方が適任だった。ただそれだけの理由で彼女は長年の友に、生死を共にした仲間に呪いをかけ、石へと変えたのだ。
それが、あらゆる悲劇の引き金となった……
「と、いうことになってるようだが」
私は鼻を鳴らした。エルフの剣士は首を傾げた。
「何か気になる点でも?」
「信じるのか?」
私は問い返した。
「私はウェディだからな。リナーシェ様のこと、根に持つぞ」
私は寝転がり、天井を見上げた。
巫女ダフィアの所業は、レオーネ自身が目の当たりにしたものではない。レオーネが火刑台に上げられた時、彼に語り掛けた天使がそう告げたのだ。
そしてその瞳には赤い水晶が輝いていた。

我々はまだ、敵が何者なのかすら知らないが……敵はわざと英雄たちに絶望を与え、悪神へと変えることで世界に害をなしている。その為に天使さえも洗脳し、手駒へと加えているのだ。リナーシェ様を悪神へと導いた天使アルビデのように。
「リナーシェ様はわざと真実から遠ざけられていた。確実に悪神に堕ちるようにな」
ご丁寧に、彼らは地上人の私がリナーシェ様に近づくことすら拒絶していた。万が一にも真実に触れられては困るからだ。
「……そんな奴等がレオーネにだけ真実を告げると、どうして信じられる?」
プクリポの術師がフム、と扇を口に当て、やがて苦笑した。
「まあ、歴史が語る王妃ダフィアの苛烈なやり口を考えれば、やりかねないとも思いますがねえ」
「……それは認めるが」
肩をすくめ、私も苦笑した。
「だが、確実に言えるのは、敵は別段……人類は醜いから滅ぼすべき、などと考えているわけじゃあないということだ」
私は起き上がり、全員に聞こえるように言った。
「英雄を悪神に堕とすという目的が先にあって、その為に人類の醜い部分を突きつけて利用しているにすぎん。そんな連中が何を言おうと所詮は詭弁。虚仮の妄言だ」
私はきっぱりと断言した。半分は本音。半分は、こうでも言わなければ戦いに疑問を持つ者が出かねないからだ。
レオーネの見せた記憶はそれほど凄惨極まりないものだった。
「まー理屈はともかく」
と、リルリラが気楽な口調で言った。
「滅ぼされるのはヤだもんねえ」
フッと空気が和らいだ。それだけは紛れもなく真実だ。
道具使いが照射装置を手入れしながら肩をすくめた。
「あいつの歪み切った性根もプラズマでどうにか直せねえかな」
「頭叩いたら直ったりして!」
リルリラがステッキを掲げて便乗する。だから直に当てるんじゃあない! 私は頭をさすりながらぼやく。
天使達はそんな地上人のやりとりを、不思議なものを見る目で眺めていた。
絶望に抗わんと、あえて笑みを浮かべる者達を。
礼拝堂にあえかな光が注ぎ込む。女神ルティアナを讃える歌が静かに響いてた。
*
最低限の戦力が回復し、再出撃の目途が整った頃、天使の都に奇妙な風が吹いた。
生暖かく、それでいて切りつけるように鋭い。空気は頭を押さえつけるように重く、頭痛を訴える者すらあった。
我々は慌てて宿舎を飛び出す。異様な光景がそこに待ち受けていた。
「空を……!」
誰かが叫んだ。そして絶句した。
そこには唐突に銀河の海が広がり、そして夜よりも暗い虚空には、天をも見下ろす巨大な船が浮かんでいた。