なりきり冒険日誌~メギストリスの陸亀
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メギストリス領から西へ数刻。エピステーサ丘陵地帯は穏やかなプクランドの風に包まれていた。青々と茂る若葉は日差しを照り返し、風吹くたびにそのきらめきを躍らせる。
遠く輝く海は波もなく、ぽかりと浮かんだ雲は空を静かに彩る。滑らかな雲の白と空の水色、水平線をはさんで海の青へと続くグラデーションは見るものをまどろみへと誘う。
災厄の王への挑戦に疲れた私は、心身を休ませる場所を求めて、こののどかな丘を訪れていた。
苦慮に苦慮を重ねても何も解決策が生まれない今、一度頭を真っ白にする必要があった。
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近寄ってきたアカイライと戯れる。無邪気なものだ。私を見ても襲い掛かろうとも逃げようともしない。よほど人に慣れているのだろう。
……そういえば、自然と共に生きるレンジャーたちは、魔物と戦わずして去らせる技術を身に着けているという。
それを使えば、あの迷宮での時間短縮につながるのでは……。
だが、レンジャーとしての修業はほとんど積んでいない。今から修業を初めて間に合うのか。ましてレンジャーとして戦う武器も戦術も一から身に着けなければならないことを考えれば、かなりの難事業だ。
しかも、それでうまくいくという保証はどこにもない。
賭けるにはリスクが大きすぎる……。
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いつの間にかまた災厄の王に挑むことを考え始めていた私は、歩くうちにエピステーサ名物、底なし沼のふちまで辿り着いていた。
底の見えない大地の亀裂。あの闇を思い出す。
それは永遠に答えの出ない悩みにも似て、どこまでも深く、暗く、全てを地の底へと吸い込んでいくようだった。
やはり災厄の帝王に挑むなど、私には無謀だったのか……。
闇に誘われ、私の心も底なし沼に沈んでいく。
一頭の陸亀が私の隣を横切ったのは、そんな時だった。
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陸亀の歩みは遅いが、その一歩一歩は着実だ。確実に大地を踏みしめ、しっかりと前進していく。
そしてその背に負った巨大な甲羅は数多くの荷物を乗せ、決してふるい落すことなく、割れることもなく、どこまでも運んでいく。
メギストリスにその名を知られる陸亀旅団とは、そんなチームだった。
それはおそらく、団長であるZ氏の人柄によるところが大きいのだろう。
私が氏と知り合ったのは、とある酒場でのことだ。
その酒場は冒険者同士の交流を目的としたものだが、過度の接触を強要はせず、一定の距離を保ちながら他者と接することができる。私にとっては居心地の良い空間である。
そこで私が落した手帳をZ氏が偶然、拾った。それが縁で知り合うこととなり、何度か情報交換を重ねた。そしてまた、それをきっかけに氏の周りに集まる人々ともよしみを通じることができた。
氏は謙虚な性格から常に私を立てる言動をしてくれるがその実、冒険者としての総合力は私より上である。
戦士としての活動を主としつつ、パーティ構成次第では僧侶として癒しの手を担う。しかもその僧侶としても棍とスティックを使い分ける実力派とくれば、魔法戦士として戦うしか能のない私など、ただ恥じ入るのみである。
そんな彼が、彼の最も信頼する陸亀旅団「鬼の副長」AST氏と共に災厄の王に挑むと聞いたとき、私は彼らの勝利を確信した。
先をいかれてしまったな、そう思った。
……だが、彼らの実力をもってしても災厄の王にはかなわなかったという。
全身を怖気が走った。
それほどまでに、かの王は強大だというのか?
私は思っている以上に無謀な挑戦をしていたのではないか……。
浮かない顔の私に、氏は笑顔で手を差し伸べた。
共に戦わないか、と……。
差し出された手を前に、私はしばし迷った。
無論、氏の善意からの申し出が嬉しからぬ筈はない。が、私は一人で戦うことを良しとして、これまで単独活動を重ねてきた。
酒場で仲間を雇うことはあっても、しょせん契約による関係だ。雇った相手に感謝はしても、それ以上に束縛されることが無い気楽な関係の中で生きてきた。
そんな私が、人の輪の中で生きてきた彼らの中に入って、はたしてやっていけるだろうか? 空気を乱すことになりはしないか?
魔法戦士団としての面子もある。外部の冒険者に、契約以外の形で力を借りても良いものか……
だが、一人での挑戦に行き詰っていたことも事実。もはや誰かの手を借りなければ災厄の王に勝てないことは明白だった。
そしてまた、酒場を通じて知った彼ら自身の人柄や戦いぶりに興味がないわけでもなかった。
私は偶然の出会いと氏の寛大な心に感謝しつつ、その手をとった。
私の旅にとっては、おそらく例外となるであろうこの戦い。
今はその例外を楽しむとしよう。