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最初に目に入ったのは、薄明りを漂う塵の舞だった。雪のように絶えず空を舞うそれは、この薄汚れた町に何十年と蓄積された堆積物だ。
誰かの鬱屈したため息が他の誰かのそれと混ざり合って、町中に漂う霧となる。壁際に寝そべった路上生活者たちが物憂げにこちらを見上げた。壁といっても、この街では露出した岩肌とそれを支える坑木がそう呼ばれているに過ぎない。
閉鎖された採掘場跡とゴーストタウン化した鉱山都市に、行き場を無くした者達が流れ着き、スラム街が形成された。それが魔窟アラモンド。
岩肌に荒々しく施されたグラフィティは原色をふんだんに使ったビビッドカラーでありながら、どこか暗い。廃坑に漂う鬱屈とした空気がそうさせるのだろう。いかにライトアップされようとも、漂う塵が光を阻み、彼らを陰の存在へと貶めていくのである。
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我々はバイクをゆっくりと、しかし決して止めることなく動かし続けた。物陰から我々を虎視眈々と狙う、複数の視線がある。のんびりと立ち止まって地図を見ているような観光客は、ここではイの一番に餌食となるに違いない。
『人探しにやってきた魔法戦士団員などは、その次に餌食、だな』
私は内心で独り言ちた。スラムには様々な理由で居場所を失った者達が集まってくる。脛に傷持つ者も珍しくない。来る者拒まず。ただし探る者は許さず。この手の街で、人探しはご法度なのだ。
だから我々は面倒な芝居を打たねばならない。すなわち……
「これオトモ、例の店はまだかえ?」
「ご心配なく」
アラモンドの裏通りに店を構える幻の名店、バズスイーツカフェ。ここに通うためだけに大陸間鉄道パスを購入する猛者もいるという。
一般の旅人がこんな街を訪れるとすれば、このカフェ目当て以外にはあり得ない。
そういうわけで、我々はスイーツ好きのお嬢様とその護衛、という奇妙な役回りを演じることになったのである。
……普通にスイーツ好きの二人組、で良かった気もするが……。
「それだと武器が不自然でしょ」
とはリルリラの言葉だ。何か言いくるめられたような気もするが、まあ良しとしよう。
低速運転のドルレーサーが不満げな音を鳴らしながら薄暗い街を走っていく。うらぶれた旧都市には似つかわしくない新品のバイクだ。
すれ違うプクリポ達の大半は我々を気に留めず床と見つめ合っていたが、中には好奇の目を向け、すり寄るような動きを見せる者もいた。私はエンジンをふかし、それを追い払う。ほとんどは舌打ちをして去っていく。が、中には物おじせず、自前のバイクで並走を試みる者もいた。
炎のように逆立ったモヒカンヘアー、あるいは野性的なドレッドヘアー。身に纏うのはワイルドなレザージャケット。口元には揶揄するような笑み。
私は顔をしかめた。ハイウェイマン気取りの若者達だ。しかも数がどんどん増えていく。
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長い一本道に入ったところで彼らは一斉に動き出した。
「兄ちゃん達ィ、この街は初めてェ?」
我々を囲むように数体のバイクが並び、いくつものエンジン音が不協和音を奏でる。何人かは壁面にタイヤを擦り付け、挑発的な曲芸運転を披露した。
「案内してやろうか。格安ツアーでさァ!」
「お代は有り金の半分でいいぜェ?」
「ヒャッハァ慈悲深ェ! 教会並に慈悲深ェ!」
私は舌打ちした。面倒な連中である。
彼らは真横に並び、嬌声を上げてリルリラの体に手を伸ばす。
「こら!」
しかめっ面でリルリラがそれをはたくと、今度は無防備になった彼女の鞄に手を伸ばす。
私は剣の柄をその手に叩きつけた。ビリリと痺れたはずだ。プクリポはバランスを崩し、危うくバイクを横転させかけた。風雷の理力、ストームフォース。
「安全運転を心がけろよ」
私はそう言いながら鞘に入ったままの剣を地面に擦らせ、新たな理力を発動した。剣が凍てつくような凍気を纏う。アイスフォース! と、同時にギアを上げる。最新型レーサータイプの流線的な車体がプクリポ達を抜き去り、地に走らせた剣が地面を凍結させていく。
「追えーッ!」
スピードを上げた彼らのタイヤが、アイスバーンにキスをする。
悲鳴と急ブレーキの音が背後から響いた。それもすぐに遠ざかっていく。
エンジン音は一つ。我がドルレーサー。
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「大丈夫なの?」
リルリラが後ろを振り返りながら言った。
「どうせ慣れっこだろう」
私は振り返らず言った。観光客にたかろうとしていた輩が偶然、凍結していた地面にタイヤを滑らせ転倒した。それだけのこと。追い剥ぎ紛いの連中だ。明日もまた別の獲物を探すに違いない。
「お嬢様におかれては、どうかお気になさらず」
「こういう時だけそれなんだから」
リルリラは呆れ顔で呟くのだった。
目当ての店は、すぐそこだった。