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バズズ人形が無言のまま、天使とヒトとを見下ろす。
禁制品を取り囲むオーナメントの数々がきらびやかに、しかし仄暗い輝きを放っていた。
私は重々しく口を開く。
「それで……天使長様は……」
「ああ」
遮る様に天使は首を振った。
「その肩書、今は重いな」
クッキーを一口。乾いた音が響く。
「この通り、力の大半を失ったんだよ、私は」
彼女は自嘲的な笑みと共に右肩に触れる。翼のない肩に。
音もなく肩を落とす。その表情は、無力感に満ちていた。
……だが、私は全く逆のことを考えていた。
『……力の大半を失って、あれか……?』
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再度、あのレースを脳裏に思い浮かべる。岩盤を打ち砕き、砂を舞いあげて疾走する砂の竜。
ありていに言って、天変地異か化け物の類なのだが……。
天使は軽薄そうに肩をすくめ、背もたれに身を預けた。
「どうせ役には立てないし、この際だから隠居しようと思ってね」
「は……?」
何かの冗談だろうか。私はまじまじと天使の顔を……ミラーグラスに赤く反射する自分の間抜け面を見つめた。
唖然とする私に撮り合おうともせず、彼女は続けた。
「今、聖天舎を取り仕切ってるのはカンティスか? 地上人と連携するなんてあいつも成長したようだな。一安心だ。みんなには、ミトラーは死んだとでも伝えてくれ」
「……何をバカな!」
私はやっと、言葉を絞り出した。だが天使は力なく首を横に振るだけだった。
「無理なんだよ。私では、もう……」
俯いたミラーグラスと肌の間に、冷たいものが滲むのが見えた。
私とリルリラは顔を見合わせ、視線で言葉を交わした。
『気の利いたジョーク……ということは』
『ないでしょ』
天使は器を手に取り、自分のために作られたスイーツを掬い取った。アラモン糖のとろけるような甘さで、湧き上がる苦みをかき消す。彼女はその作業に夢中になった。
バズズ人形が無表情な笑みと共にそれを見下ろす。
何があったというのだろう。天使長ミトラーの心は、完全に折れていた。
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しばらく、スプーンと食器が重なる金属音だけが虚しく響いた。
だが私も子供の使いで来ているわけではない。是が非でも天使長ミトラーを天に連れて帰る義務があるのだ。
「ミトラー様」
私は気を取り直し、魔法戦士団が集めた資料を鞄から取り出した。
「地上に落ちた流星は四つと聞きます。その一つがあなたなら、残り三つを探せば、力を取り戻すことも……」
「無駄だよ」
彼女はスプーンを動かし続ける。私は食い下がった。
「他の冒険者たちも探索を続けています。早晩、良い報せが届くはずです」
「たとえ力を取り戻したとしても、ジア・クトには勝てないさ」
ミトラーは見向きもせず、スイーツをむさぼり続けた。
無責任とも思えるその態度に、私は歯噛みし、キッと睨みつけた。
「……それで! 貴女は自分でも勝てるプクリポ達を足元に跪かせて、連日カフェでヤケ食いですか!」
「ミラージュ」
私の暴言をリルリラが窘める。だがミトラーは力なく笑みを浮かべ、首を振った。
「軽蔑してくれていいよ。だが、どうせそんな奴に天使長は務まらないだろう?」
スプーンを持つミトラーの手が震えた。重く沈んだ吐息をアラモンド・エッセンスが上書きする。
豊潤なその香りも、ミラーグラスの奥までは届かない。
翼の無い天使の右肩が小さく震えた。
「良かれと思ってやってきた。計画を練り、不測の事態に備え、時には誰かに恨まれたこともあったな」
スプーンの中のクリームが同じリズムで震える。飲み込もうとして、目をつぶる。
「何千年……」
ミラーグラスの表面が、VIPルームの俗っぽい装飾を映す。バズズの瞳。
「全て奴等の掌の上だったわけだ」
クリームの中に小さな刺激。ラムネが弾け、泣くような笑みが零れた。
「もういいよ。もう疲れた」
天使の吐息が、気だるく煙る様にテーブルの上を満たしていく。その吐息の奥から、また一つグラスを取り上げ、口に運ぶ。
「今はこれだけが生き甲斐さ……」
天使長ミトラーは虚無の瞳で呟いた。
私はあのレースの光景を思い出していた。自分自身を傷つけるような、自暴自棄の暴走……。
ダイエットは、隠れ蓑の一つに過ぎなかったのかもしれない。
『何故追ってくる?』
彼女は言った。
『あなたが逃げるからでしょう』
私は答えた。
逃げる彼女を追い、問い、追い詰めた。
私の問いに、彼女は何を見た? カンティス、聖天舎、天使、英雄達。全てが彼女を問い詰めた。何故逃げる、と。
それは私の、罪であったかもしれなかった。