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さやかに水流る白の宮殿。
荘厳にして厳粛な宮廷の一室にて。
条約締結に向けた会談は、つつがなく進行していた。
元より、同盟の是非自体は宿屋協会を通して打診済みの規定事項である。
カンティスの来訪は、ある意味では儀式に過ぎないと言えた。
唯一、カンティスが身の証として天使の姿を見せた時には議事堂がどよめいたが、それだけの話である。
いくつか、型通りのやり取りを繰り返したのち、最初の休憩となる。
「もう少し混乱があると思ったが」
カンティスは拍子抜けした様子だった。私は肩をすくめた。
「地上各国もそれぞれに調査は進めております。天使の秘密など、すでに有名無実ですよ」
「……確かに、どこかの国の密偵がウロウロしていたからな」
カンティスはジロリと私を睨みつけた。会釈を返す。
だが、これで終わりではない。
常夏の太陽は、未だ中天にあった。
より具体的な体制について検討すべく、会議は次の段階へと進む。象徴としての女王は一歩下がり、実務を司る各組織の幹部が円卓をずらりと取り囲んだ。
ここからが本番であった。
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驚いたことにカンティスは、この短期間に鞄いっぱいの書類を用意し、持参してきた。その鞄も、一つや二つではない。
同盟の主導者としての自負と責任感。気負い立った天使の生真面目さがずっしりと卓上を覆った。
どうやら彼は、あくまでフォーリオンを盟主とした各国の連合を想定していたらしい。天使の指揮のもと、地上人が一斉に行動する。それが彼の描いた青写真だったに違いない。
過剰なまでに事細かに並べたてられた規約、条項、組織図の数々が雄弁にそれを物語っている。
だが宮廷を担う官僚たちは、その一方的で直線的なやり方をやんわりと跳ね除けた。
カンティスは地上を知らぬ。
ましてウェナを知らぬ。
知識としては十分調べつくしただろうが、実感としてアストルティアの暮らしを知らないのだ。
例えば、危機に備えて国民をどこそこの地域に退避させるべし、と書類に書くことはできても、その具体的な意味が想像できていない。
ウェナで大規模な移動を行うなら船がいる。船は一朝一夕では作れないし動かすには機材も人材も必要だ。
地図上では隣り合って見える島でも、複雑な海流のせいで行き来がままならないこともある。
水や食料はどこから調達して、どうやって管理する? 常夏のウェナでは食料は腐りやすい。食べる必要のない天使には、その感覚が希薄だった。
土地と人の心情的な結びつき、そこから生じる有形無形の抵抗。恐慌に対する見積もりも甘すぎる。
『天使の悪癖だな』
私は発言すら許されぬ会議の末席で、それを感じていた。
ヴェリナードの雑踏に翻弄されるカンティスには、数と規模が生む混乱がわからぬ。
清潔な神都の、澄み切って整然とした空気が、彼にとっての常識だった。
フォーリオンという唯一の都市に全ての天使が居住し、その全てが女神ルティアナの敬虔な使徒。土地を巡る争いも組織同士の対立もない。
小さく完璧な世界なのだ。
アストルティアは、お行儀よくは出来ていない。
カンティスが雲の上で描いた空論は、次々に却下されていった。
何度目かの休憩。
カンティスは疲れた顔で、海を泳ぐマリンスライムを眺めていた。
私がとこなつココナッツのジュースを薦めると、天使は一気に飲み干した。
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「難しいものだな」
彼はため息をつく。
短期間にあれだけの資料を用意した熱意は見上げたものだが 明らかに張り切りすぎの空回りであった。
マリンスライムが揺らめいた。私は苦笑しつつ隣に並び、共に海を眺めるのだった。