その夜。
私はカンティスと連れ立ってヴェリナード城下町の酒場のドアをくぐった。
開いたドアから光と喧騒が溢れ、料理と酒の匂いが漂ってくる。
空いた席に腰かけると、私は大きく息をついた。
カンティスも少し落ち着いたようだ。いくつか注文を取る。アツアツの鍋料理が好みらしい。
だが我々はここで彼の労をねぎらい、ささやかな酒宴を開く、というわけにはいかなかった。
彼にはもう一つ、大きな任務がある。
そしてその任務の舞台は……どうやら、この酒場になりそうなのだ。
私は店員の一人を呼び止めると、チップを渡しながらある人物を指さしてこう言った。
「彼に一杯おごりたいんだ。ちょっと呼んできてくれないか」
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店員に呼ばれた男は、小柄なシルエットと大きなアフロ頭を揺らし、こちらに駆け寄ってきた。
「いやいや、この無職にお恵みを下さるとは、何かいいことでもありましたか?」
彼は悪びれるでもなくそう言って我々を見上げた。
ぐるぐるメガネに青いアフロ。我々のひざ元にも達しない体格はプクリポ族のそれだ。
「ああ……隣の彼がちょっと、貴公に頼みがあるようでな」
私はカンティスを顎で示しながらそう言った。
彼の名はペリポン。アストルティア防衛軍の物資補給担当であり、技術担当であり……
「そして、堂々たる無職です!」
ペリポンは胸を張った。
カンティスが面食らう。
言葉の意味はともかく、凄い自信だった。
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*
酒場に向かう少し前のこと。
私はカンティスから、驚くべき計画を打ち明けられていた。
「フォーリオンを、動かす?」
カンティスは重々しく頷いた。
「私も最初は驚いたが……元々フォーリオンは、天使がかつて住んでいた大地……とこしえの揺り籠から住民を脱出させるための避難船だったそうだ。今は眠っているが、動力を調整し、制御系を蘇らせれば……」
「ジア・クトに対抗する大きな武器になる、というわけか……」
今、フォーリオンの頭上には、彼らをあざ笑うかのようにジア・クトの移動拠点『魔眼の月』が浮かんでいる。
いずれ決戦ともなれば、そこに乗り込む必要があるだろう。船が必要だ。戦うための船が。
言わば巨大戦艦フォーリオン。乗組員は全ての天使。
どうやらミトラーは、本気で総力戦を決意したらしい。
「そういうわけで神都ではクリュトスが中心となって動いているのだが、天使だけでは手が足りんのだ」
地上から人材を引き上げる必要がある。とりわけ、機械技術に長けた技師を。
そこで私が推薦したのが、ペリポンだった。
彼はプクランドの風車塔を設計した技師の子孫であり、一流の大学を卒業した修士でもある。
今はこの酒場に住み着きつつ防衛軍の手伝いをしているが、大砲や機械類を弄らせれば右に出る者がいない。
噂によれば総帥の依頼で戦闘兵器の開発担当したところ、町ごと破壊するレベルの超兵器を創り上げてしまい、即座に任を解かれたとか……。
ともかく、技術はお墨付きだ。
既に総帥に話は通してある。
……まあ、陛下が天使との同盟を承認している以上、当然のことではあるのだが。
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彼は話を聞くとフム、と頷いた。
「なるほどなるほど、つまり上空に浮かぶ要塞に到達したい、と」
グツグツと煮えるシチューがテーブルに届く。ペリポンの頭脳も、徐々に煮立ってきたようだ。
「ふーむ、難しいですねえ」
「まあ、そうだろうな。地上の者にとっては空を飛ぶことさえ難しいのだから……」
カンティスが当然とばかりに頷くが、プクリポは「いえ」と首を振った。
「飛ばすだけなら月ぐらいまで余裕なんですが」
「は?」
天使の目が、まん丸く開かれた。
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「ただアレは定員が数名までで、しかも飛ばしてそれっきりですから……都市サイズの軍艦となると話が違いますねえ」
カンティスは私に視線を送った。私は無言で瞳を閉じる。彼の言葉に嘘はない。技術力はお墨付きだ。
「しかしいいでしょう!無職の力に不可能はありません!」
ペリポンは立ち上がり、拳を振り上げた。
「む、無職の力とは……?」
カンティスは律儀に疑問を口にする。私は何も言わず、彼の肩を叩いた。
「とりあえずやってみて、ダメだったら土下座ですね!」
「あまりダメだった場合を想定しないで貰いたいんだが」
私は料理をつまみながら答えた。呆然とするカンティスを尻目に、カチコチクルミの軽快な歯ごたえが顎の奥でリズミカルに転がる。
「難しい注文ですねえ」
悪びれもせずに、プクリポもクルミをつまんだ。私は肩をすくめる。
こうして、フォーリオンは有能な技師を一名、確保することに成功した。
困惑するカンティスの前では、まだシチューがグツグツと音を立てていた。