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色とりどりの羽を閃かせた蝶の群れが、暮れかけた空を羽ばたく。夕映えに染まった雲は、燃えるように赤く輝いていた。
フォーリオンを飛び立った小型飛空艇"バタフライト"は計15機。その中に私の姿もあった。
訓練ではない。
機体を覆う光のドームを通して頭上を見上げると、地を睥睨する魔眼の月がそこに鎮座していた。視界に映る禍々しくも神秘的なその光景は、少しずつ、だが確実に巨大化しつつある。
そしてその月から、雪のように降り注ぐ数々の結晶体も。
硬質な翼が夜を切り裂く。あれこそはジア・クトの降下部隊。フォーリオンを狙う襲撃者達だ。
天使兵のハルルートが私の隣で槍を握り締めた。リルリラの額に汗が滲み、柔らかな金髪が張り付いた。猫魔道のニャルベルトも尻尾を逆立てる。
バタフライト各機には操舵手一名と二名の冒険者、そして一名の天使兵が乗り込んでいた。この機も例外ではない。計四名。少々手狭だが、天使兵はいざとなれば蝶から飛び出して自らの翼で戦える。それを見越しての編成である。
連絡石が輝く。カンティスからの通信だ。
『わかっているだろうが』
と、彼は念を押した。
『迎撃は不要だ。散開してやりすごせ』
リルリラは指示に従い、緩やかに僚機との距離を取った。
『降下してくる敵はフォーリオンの守備隊が相手をする。お前たちの標的はただ一つ、敵の主力兵器"魔眼砲"……!』
そこで一拍置き、天使は声を潜めた。
『……奴らにそう思わせるのだ』
私は頷いた。
それが作戦の要であった。
*
ジア・クトの巨大兵器"魔眼砲"の存在が明らかになったのは、ほんの数刻前のことだった。その砲身から打ち出される"滅浄の大光"は大陸規模の破壊を可能とするという。
神都は騒然となった。この難物がある限り、フォーリオンで敵地に乗り込む作戦は封じられたも同然。撃ち落してくれと言っているようなものだ。
だが手をこまねいて待っているわけにはいかない。苦慮の末、天使長ミトラーは英雄達に指令を下した。太古の小型船、"天の箱舟"を使って敵地に潜入し、魔眼砲を破壊せよ、と。フォーリオンの発進はその後だ。
この作戦については不満の声もあった。ドワーフの道具使いが食って掛かる。
「それって結局、危ない橋は全部英雄サンにお任せするってことじゃねえか!」
同調する声が溢れる。冒険者から。そして天使からも。
ある天使などはミトラーの制止を振り切って箱舟に乗り込み、無理やり英雄達に同行したほどである。
残された者達も気持ちは同じだった。神都が揺れ動く。今すぐにでも飛び立てと、血潮を燃やして脈動する。
「天使長! フォーリオンはいつでも飛べますよ!」
技術者が叫んだ。
「発進は認めない! 冷静になれ!」
ミトラーの額にも汗が滲んでいた。迂闊な決断は全滅を招く。
「ならば」
と、カンティスが提案したのが、バタフライト隊による陽動作戦である。
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「ジア・クトも小さな目標に戦略兵器を向ける愚は犯さないでしょう。英雄達とは別方面から月を強襲し、敵の注意を引くのです」
天使長は目を丸くした。
「バタフライトで月まで飛ぶ気か? アレは長距離航行用ではないのだぞ?」
「パルミオ博士によれば、性能的には可能とのことです」
ただし燃料が足りない。戦闘時間にもよるが、片道切符になるというのが博士の見解だ。
「帰りの燃料は必要ない」
カンティスは断言した。
「フォーリオンで迎えに行けばいい」
ミトラーは息を飲んだ。大胆な作戦と言えた。
「随分と思い切ったな」
私の言葉に彼はため息を返した。
「冒険者たちが代弁してくれた通りだ。……神の使い。天の守護者、世界の管理者などとでかい口を叩いておきながら何もできず、全て英雄達に任せきり……。それはあんまりだろう」
彼自身、握った拳が震えていた。戦務室出身。武を司る天使の頂点に立つ男だ。己の不甲斐なさを誰より感じていたのは彼だったに違いない。
「そう思ってなお、ユーライザのように感情に身を任せることはできなかった……時々自分が嫌になる」
例の、強引に同行した天使のことだ。青く、眩しい。
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「いいや、貴公が残ったのは正解だ」
私は首を振った。
「指揮官は後ろでどっしりと構えているのが仕事だ。蛮勇は我々冒険者に任せておけばいい」
私はフライト隊の面々と顔を見合わせ、笑みを浮かべた。少なくとも、今我々が飛べるのは彼が天使長と直に掛け合い、許可を取ってくれたからなのだ。
それぞれがそれぞれの場所で戦えばいい。
こうして全てが動き始めた。
我々は光の胡蝶、バタフライトの背に乗ってフォーリオンを飛び立った。
監視網が敵降下部隊の存在を感知したのは、その直後のことだった。