最近よくある難易度設定早くしろ云々。
多少の差異はあれど、多くはストーリーを純粋に楽しみたいからという理由。
ストーリーを純粋に楽しむ。だからボスは弱くていい。
これ、矛盾してないかなあ。
ボスっていうのは、何も関連なく、ただそこにいるわけじゃないのですよね。
例えば、3.0のボスは竜族という底知れない力を持った種族だという事を誇示するがために、こちらへ戦いを挑んできた。本来の設定(強い)で戦闘をするとよくわかると思いますが、優秀な種族なのだなっていう設定、世界観がよくわかるわけですよ。
3.1にしたって、放り出された土地で空気に触れるだけでエステラの介抱が必要なくらい強大な力をもち、煉獄の谷のアペカの男たちが全力で戦い散っていった敵。
どれほどの力を持っているんだ・・・ってなりません?
炎の塔の門番なんて、エジャルナのエリートが全く歯がたたないのですよ?
領界を開く事がどれだけ困難な物なのか、そういう世界へ踏み入れてるという実感が有ると思うのですよ。
それをただの通過点としてしか考えない状態って、ちょっと浅くないかなーと。
例えば1つエピソードが進む毎に街の人の話を全部聞く、それまでのフィールドのモブの話を全部聞く。ここまでやる人って恐らく難易度よりも世界観を重視すると思うのです。
仮に難易度設定されて、さくっといけるようになったところで、こういう部分をちゃんと見てるプレイヤーが果たしてどれだけいるか。3.2はちなみに3.1とさほどボリュームは変わりません。でも3.1は一般的に言うほどスカスカではありません。何故なら1エピソードでNPCの会話内容が目まぐるしく変わるからです。
全部これらをこなすと一日クリアは不可能です。でも3時間で終わってスカスカって声が凄い多かったですよね。
結局、根底にあるのはただ「遅れたくない」っていうだけなんだと思うのですよ。周りがクリアしてるのに自分がクリア出来ない。そこから皆が即クリア出来るように難易度復活しろ。恐らくほぼこれだけなんですよね。
今のところ、竜族からは私達は解放者様という見方をされて、試練を突破できる頭脳と、解放を可能とする大きな実力を持った人物というように見られています。
まずはそこに値する力、超える為の工夫があってもいいですよね。
以前の日誌でも触れましたけど、ライオン然り、青キノコしかり、別に全てが運ではないです。工夫で押さえつけることができます。
強大な門番は工夫と力が無いと突破が出来ないようになっています。
でもこのような形って正にRPGの姿なんですよね。
どうしても無理!って方の為の後期に難易度設定という形は非常に良い妥協点だと思っていますよ。