24時時点のイン人数は23人
・メイヴⅠ攻略
・ゲルニック攻略
組んで絡んだチムメンは6人
私はチームメンバーの募集をする時の日誌の〆の言葉に
"運命の線路が交わる時に"というフレーズを好んで使う。
鉄オタの血が騒ぐというのもあるのかも知れないが
DQ10の中の募集なので、DQ10のフレーズにこだわっているという点もある。
そんな事と矛盾をするようだが、私は運命という言葉が嫌いだ。
正確に言うと、逃れられない定めとか、何をどうしても結果はこうなる的な
その人の努力や選択がまるで無駄というようなそういう使われ方をする運命という言葉が嫌いだ
考えるだけムダwと分析する思考を停止させ、自由意志を価値の低いものと感じさせるからだ
似た事で運ゲという言葉も嫌いだ。運が良かったという事も確かにあるが
何にしても、結果を求めて、費やした時間や工夫を
無駄に感じるという意見はあるだろうし、そう考える事は理解出来る。
だが、そうではないと感じて楽しんでいる人も大勢いる。
何かある事をやりたいとか、その物事を楽しんでいる等の
モチベーションを持っている人に対して、無駄な事と思わせてしまう事や
ましてや、楽しんでいる人達に面とむかって、運ゲだから無駄だと言うのは
どうなんだろうな…と思ってしまう。
先にも触れたが、そう考える事は理解できる。
だが楽しみ方は人それぞれだ。
ある人にとっては無駄な時間でも、別の人にとっては得難い楽しい時間だったりする事は
必ず意識をしておきたいと思う。
意見は違って当たり前。皆が皆同じ方向を向く必要はない。
何か1つでも、何処かのジャンルで同じ方向を向いている人がいればいいのだと思う。
言葉を変えれば、違う方向を向いている人を自分と同じ方向に向かせる必要もない。
同じ頂上を目指すにも、登山ルートは1つではない。
Aさんの様に車でスイスイ登る人もいれば、Bさんの様に時間が掛かってでも自分の足で踏破したい人もいるだろう。
自分の足で登りたいBさんに、時間が掛かるのは無駄だから自分の車に一緒に乗っていきなよとAさんが勧める事は、
良かれと思ってやった事でも、Bさんにとっては迷惑だろうし、無駄と言われたら面白くないだろう。
逆にBさんが、Aさんに対して自分の足で登らない登山など価値がないと評したら、Aさんは面白くないだろう。
方法や価値観は違えど、お互いに事故の無い様に登山を楽しもう!と言うのが
登山仲間の本筋じゃないかなぁ…と私は思うのだ。
報告は以上!
まる